増田さんは「なんでなんだろう」と言った

悲しみの果てからこんにちは。

どうも。僕です。

令和初のブログ更新ですね。

コンスタントに更新できないのは書きたい事が無いからなのか。

はたまた根気が無いだけなのか。

もしくはブログに向いていないだけなのか。

それは誰にもわからない。

 

で、どうですか、みなさん。

心底満足して日々の生活を送ってらっしゃいますか。

それとも何か満たされない想いを抱えて暮らしてらっしゃいますか。

程度の差はあれど、後者の方が多いのではないかな、などと僕は考えるわけです。

「何を言うか。俺は心底満足している。」という方がいらっしゃったら申し訳ありません。

うっせんだ馬鹿 心底満足してらっしゃってよかったですね、とだけお伝えさせていただきます。

 

まあ、今日のテーマはそんな感じです。

満たされない想い?

まあ、なんかそんな感じ?

もう二度と届かないこの想い?

閉ざされた愛に向かい叫び続ける?

 

さて、Guns N' Roses(以下、GN'R)という僕の敬愛するバンドがおりますね。

話題飛びすぎですか? 大丈夫ですか?

そのGN'Rが大御所ロックバンドThe Whoの“The Seeker”という楽曲をライヴでカバー演奏しているのをご存知でしょうか。

恥ずかしながら僕自身The Whoについて詳しくないので、この“The Seeker”なる楽曲がどの程度有名なのかよくわかりません。

おそらくThe Whoの名曲として真っ先に名前が挙がるタイプの曲ではないのでしょうが、ミッドテンポのロックソングで非常にかっこいいです。

歌詞付きの動画を貼っておきましょう。

The Whoのオリジナルバージョンでございます。

 


The Who- The Seeker lyrics

 

ここ数年、音楽ライターの増田勇一さんとお話をさせていただく機会が結構あって、本当にありがたい事だなと思うのですが、GN'Rの話をしている時に増田さんがよくおっしゃるのが

 

 

 アクセルはなんで“The Seeker”をあんなに大切に演奏してるんだろう?

 あれは何かを探している人の歌なんだよね。

 しかも、“Paradise City”の前っていう重要な位置じゃない?

 なんでなんだろう…。

  (※ アクセル・ローズはGN'Rのヴォーカリスト

 

この事は記事にも書いてらっしゃったし、増田さんの口から直接聞いたのも一度や二度ではありません。

Paradise City”というのはGN'Rがショーの最後に演奏する楽曲で、バンドにとってもファンにとっても非常に大切な1曲です。

ラスト曲の前にカバー曲、それも次の曲への導入としてサラッと演奏するのではなく、1曲フルできっちり演奏する事に何か意味があるのだろうか。

そんな疑問を解くヒントを探すため、まずは“The Seeker”の歌詞を見てみる事にいたしましょう。

(※ あまり歌詞を引用するとJust Luck的な名前の面倒な機関に目を付けられて面倒な事になって「面倒だナー」と日々呟いて暮らす事になるかもしれないので、元の歌詞はさきほどの動画でご確認いただく事として、ここでは日本語訳で話を進めていきますのでご容赦ください。ただし、英検76級とも揶揄される僕の英語力です。誤訳等はご容赦ください。)

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 (写真:“Paradise City”のアナログシングル。サインは2005年にドラムのスティーヴン・アドラーAdler's Appetiteとして来日した際に貰ったもの。いつの日か5人分揃えたいが無理でしょうねえ。特にリズムギターの人。)

 

 

 椅子の下も探した

 机の下も探した

 見つけ出そうとしてたんだ

 5,000万もの寓話への鍵を

 

 

“The Seeker”はこんな歌い出しで始まります。

うん。確かに何かを探そうとしているようですね。

そして最初のヴァースが終わるといきなりサビです。

 

 

 人は俺を“お探し人”(The Seeker)と呼ぶ

 下から上まで探し続けてきたけど

 求める物はきっと見付からないだろう

 俺が死ぬ日まで

 

 

ふむ。何を探しているのかは判然としませんが、どうやら自分が息絶えるその日まで探し続けるつもりのようです。

これが井上陽水の名曲“夢の中へ”であれば、机の中やカバンの中などごくごく身近な場所を探した時点で「それより僕と踊りませんか」などという謎オファーが到来し、ふふっふーと夢の中へ行ってしまうところですが、The Whoの面々は踊ったりする事なくひたすらに探究を続けます。

決して見つかる事のないであろう何かを。

自力での捜索に限界を感じたのか、先人たちの知恵を拝借する描写もあります。

 

 

 ボブ・ディランにも訊いた

 ビートルズにも訊いた

 ティモシー・リアリーにも訊いた

 でも、役には立ってくれなかったんだ

 

 

ディランという賢人、インドで瞑想修行をしたビートルズに尋ねても見つからなかったと歌われています。

最後のティモシー・リアリーなる人物の事はよくわからなかったので調べてみたところ、結構アレな感じの心理学者でした。

みんな大好きWikipediaのリンクを貼っておきますので、興味のある方だけ自己責任でお読みください。

最初の5行くらいで「お…おぅ…」となると思われます。 

 

ja.wikipedia.org

 

 

歌詞の続きに戻りましょう。

後半はこんな感じになります。

 

 

  俺は俺自身を探してる

  あんたはあんたを探してる

  それなのに俺たちはお互いを見ている

  するべき事がわかってないんだ

 

 

探しているのは他ならぬ自分自身なのかもしれません。

旅人こと中田英寿さんでお馴染みの〈自分探しの旅〉についての曲なのでしょうか。

それに続くコーラスでも「死ぬまで見つからないだろう」と歌われ、探求が生涯続くであろう事が示唆されます。

決して見つける事は叶わないと知りながらも探し続けずにはいられない何か。

その何かを探すという行為自体が人生における原動力になっているのかもしれません。

 

 

The Whoの“The Seeker”がどのようなテーマを持つ楽曲なのかなんとなくご理解いただけましたでしょうか。

お次は、我らがGN'Rの“Paradise City”の方に話題を移してまいりましょう。

“The Seeker”の時と同様に歌詞付きの動画を貼っておく事にいたします。

 


[HD Lyrics] Guns N' Roses - Paradise City

 

僕のブログを読んでくださる方にはお馴染みの楽曲かもしれませんが、釈迦に説法上等のマインドで歌詞を紹介していきます。

柔らかく降り注ぐ太陽のような煌めいたギターに導かれ、こんなコーラスで曲は始まります。

(こちらも原詩については動画をご参照ください。)

 

 

  パラダイス・シティへ連れて行ってくれ

  青い芝生と可愛い女の子たち

  俺を“家”に連れて行ってくれないか

 

 

青々とした草木が繁り、女の子たちが可愛かったらそこがパラダイスという発想が微笑ましい。

僕のような東洋の島国、それも川崎などという小汚い街に住んでいる者からしたら、「ねえ?それってカリフォルニアの光景そのまんまなんじゃないの?君、もうすでにパラダイス・シティとやらにいるんじゃない?」と言いたくなってしまいます。

しかし、コーラスパートが終わると曲調が一変。

荒々しいギターリフと共に過酷な現実が歌われます。

 

 

 俺はストリートに生きる浮浪児

 ぶちのめそうと思ったら骨が折れるぜ

 あんたのお情けの対象だ

 そうだろ? 何か食べ物を買ってくれよ

 ま、いつかちゃんと払うからさ

 最後の最後まで我慢してくれよ

 

 

 

ヴァースで歌われるのは、 ストリートで必死に生き延びる主人公の姿。

パラダイスという言葉からは程遠い弱肉強食の世界の話です。

成功も失敗もすべてギャンブルで、下手をすれば公衆衛生局につかまってガス室送り。

明日の事すら知れない不安定な日々。

そんな荒んだ生活の中、いつかすべてが報われてパラダイス・シティへたどり着ける日を主人公は夢見ているのでしょうか。

 

どこかにあるパラダイス・シティ。

そんな楽園を探し求める主人公の姿はまさに“The Seeker”です。

自分が求める物を己の人生すべてをかけて探し求める。

アクセルが“Paradise City”の前に“The Seeker”を演奏する理由は、もしかしたらそんなところにあるのではないか。

増田さんのお話を聞くたび、そんな事をぼんやりと考えていました。

それを今まで口にしてこなかったのは、増田さんとGN'Rの話をしている時の僕はほぼ100%の確率で酩酊しているからであります。

 

 

ショーの終わりがすぐそこまで迫っている事を告げる“Paradise City”のイントロ。

我々ファンにとっては、非常に気分が高揚するとともに、少しセンチメンタルな気分を抱いてしまう瞬間です。

頭上で手を打ち鳴らし、その歌詞を口ずさんでいると、アクセルのこんなメッセージが聞こえてくるような気がするのは僕だけでしょうか。

 

 

 もう少ししたらショーが終わって、俺たちみんな現実に戻って行く。

 糞みたいな現実と死に物狂いで闘って生きていかなきゃいけないんだ。

 でも、きっといつか俺たちパラダイス・シティに行けるよ。

 その日まで現実にやられてしまわないように。

 とにかくなりふり構わず生き延びるんだ。

 

 

僕らの喉笛を食い千切ってやろうと、その隙を窺っている獰猛な現実。

そんな世界で正気を保って生きていくために、半径5メートルの無慈悲な日常に対してファイティングポーズを取り続けるために、いつかパラダイス・シティに行けるんだという幻想を作り上げたのではないかな、と。

それを追い求めている間は、きっと闘い続ける事が出来るから。

まあ、インタビュー記事など何の根拠も提示せず、無責任にそんな事を考えるわけであります、僕は。

 

ただ、肝心のアクセル自身はいつかパラダイス・シティに行けるなんて事は少しも信じていないんじゃないかな、とも思う。

実際、この点に関してはアクセルが自身の考えを吐露してしまった事がある。

1989年10月18日、The Rolling StoneのLAコロシアム公演で前座を務めた時の話だ。

ストーンズという大先輩の前座に抜擢されるという栄誉に与かり、さぞお行儀よく責務を全うするのであろうと思いきや、予定されていた4公演の初日は超荒れ模様。

ステージに登場するや否や、人種差別的だと批判の対象になっていた“One In A Million”という楽曲について自身の見解を述べ始めるアクセル。

大先輩のスタジアム公演の前座で、1曲も演奏しないうちから延々とMCなんて普通の神経の持ち主ではないでしょう。

この日のアクセルはそれだけに留まりません。

ドラッグに溺れているメンバーをステージ上で公然と非難し、バンド内の状況に不満を抱いている事まで(わざわざ)ぶちまけます。

その極めつけは最終曲の演奏前にやってきました。

「もう一曲演奏するよ。その前に言っておきたいんだけど…これが俺がGN'Rでやる最後のギグだ」とまさかの脱退宣言。

残りの3日間どうすんだ!?と誰もが思った事でしょう。

そして、これに続く言葉。

この言葉をアクセルがパラダイス・シティという幻想を信じていない事の根拠として提示いたします。

 

 

 この曲は“Paradise City”。

 そんな場所はどこにも無いけどな。

 

 

GN'Rに幻滅し、すべてを投げ出そうとしていたアクセルによる冷酷な種明かし。

僕の知る限り、このような曲紹介をしたのは後にも先にもこの日だけです。

この発言について、のちにアクセルが何かを語った事は無いと思うのですが、もしかしたら余計な事を口走ってしまったと後悔しているのかもしれません。

いつの日か、誰かアクセルに“Paradise City”について改めて訊いてもらいたいなと思っております。

 

でも、アクセルの本心がどうであろうと、そんな事はどうでもよくて。

あのイントロが鳴り響いたら、僕らはパラダイス・シティという共同幻想を抱いて、最後の7分間を全力で楽しむだけなのです。

バンドがステージを去り、紙吹雪に埋め尽くされた会場から一歩出たら、そこはもう僕らにとってのストリート。

生きるも死ぬもすべて自分次第。

ぼやぼやしてたらあっという間に手遅れになってしまう。

だからだろうか。

“Paradise City”のイントロのあのコードが鳴り響くと、僕は少しだけ背筋を伸ばしてしまうのである。

 

 

僕のブログについて「りょうさんのブログは最後にちゃんとオチがあっていいですね」と褒めてくださる方もいるのですが、今回は残念ながらオチがございません。

何か面白いオチが思い浮かんだら追記をしようかな、などと考えております。

しかし、そのような事をした場合、「わざわざ追記するほどの面白いネタ」という先入観を免れる事は不可能であり、笑いのハードルが果てしなく上がってしまうのではないか。

「なんだ。わざわざ読みに来てやったのにつまらん」「時間の無駄だった」「今度会ったら硬い棒のような物で滅多打ちにしたろ」などと非常に悲しい事になってしまうのではないか。

というわけで、やはり面白いオチが思い浮かんでも追記などはせず、次のブログ用に温存しておきたいと思いました。

よろしくお願いいたします。