ふと気が付けば秋の足音。
秋らしいステップが聞こえてまいりました。
ええ。僕です。
みなさん、夢と現実の狭間で揺れてますか。
炒飯とかた焼きそばの狭間で揺れてますか。(主に日高屋)
今日はエンタメの話題です。(言ってみたかったフレーズ)
先日、エルトン・ジョンの伝記映画『ロケットマン』を観てまいりました。
エルトン・ジョンについては改めて説明する必要は無いでしょう。
レコード売上総数2億5,000万枚以上を誇るイギリス出身の世界的シンガーソングライター。
そんな彼の半生をミュージカル形式で描いた作品、それが『ロケットマン』です。
某国の将軍さまの物語だと思って劇場に足を運んでいない方も多いのでは…。
(写真:映画『ロケットマン』。アクション映画感が伝わってきますが、ミュージカル仕立ての音楽映画です。)
(※ あまり極端なネタバレはしないつもりですが、これから観る予定の方はご注意ください。よろしく哀愁です。)
物語は、とある場所に現れたエルトン・ジョンが自分の人生を振り返るという設定で進んでいきます。(なぜこのような設定が必要なのかは映画を観ているうちに理解できる)
ざっくり言ってしまえば、典型的なロックスターの人生の話ですよ。
・複雑な家庭環境、コンプレックス
・人生を変えた音楽や仲間との出会い
・音楽の力で世界的スターへ。莫大な富の獲得
・成功に足元をすくわれ、破滅的なライフスタイルへ
・仲間との離別
・享楽的な生活に虚しさを覚え、本当に大切な物に気付く
・仲間との和解・復活
箇条書きにしてみると、そのステレオタイプぶりが際立ちますね。
こんなベタなシナリオで大丈夫なのかと不安になるレベル。
でも、そこはご心配なく。
素晴らしいシナリオと素晴らしい音楽で、最後の瞬間まで物語に没入できることを保証いたします。(※ 満足できなかった場合、実際に金銭的な補償はいたしかねます。)
そして、主演のタロン・エガートンの歌唱が実に見事。
あんなに歌えて演技が上手くてずるい。
天は二物を与えるんだナーと嫉妬すら覚えるレベルでした。
特に“Your Song”を作曲するシーンは、ここで感動しない人とはお友達になれないわ!と僕の中の乙女が絶叫するほどの名場面。
ほんっとに素晴らしかった。
エルトンの場合、“同性愛者の大スター”という要素が加わり、それが物語に深みを与える効果をもたらします。
と、ここまで書いてみて、既視感に似たものを覚えたのは僕だけでしょうか…。
そう。社会現象にもなった“あの作品”がどうしても思い起こされますよね。起こされませんか。どうですか。
あの作品とは…
昨年公開されて爆発的な大ヒットを記録、最終的にはアカデミー賞を受賞するという名誉に輝いたQueenの伝記映画です。
もう少し正確に表現すると、ヴォーカリストであるフレディ・マーキュリーの生涯を軸にしたQueenの伝記映画、それが『ボヘミアン・ラプソディ』だと言えるでしょう。
先に挙げた要素を当てはめてみると、『ロケットマン』と『ボヘミアン・ラプソディ』にはあまりにも多くの共通項を見出すことができます。
実在する(した)ミュージシャンの伝記的映画だというのはもちろんですが、エルトン・ジョンとフレディ・マーキュリーというふたりの人物に限ってみても
・複雑な家庭環境(フレディは“不幸”と言えるほどではないが)
・スターにふさわしくない容姿(エルトンではデブ&ハゲの二重苦。フレディは出っ歯)
・同性愛者
・真実の愛を求める人生
これだけの要素がかぶってきます。
そして、栄光と堕落、どん底からの復活。
「同じコンセプトから映画を2本作ったのでは?」と邪推してしまうほど。
まあ、実際にはそんなことはないでしょうが、仮に「そうやで。ひとつのアイデアで2本撮ったで。わて、大阪商人やさかい」と言われたとしても、どちらの映画も非常に楽しめたので結果オーライでしょう。
エルトン・ジョンとフレディ・マーキュリーが親友同士だったという事実も興味深いですね。
死の淵にいたフレディがその死の間際、病床からエルトンにプレゼントを贈ったというエピソードは本当に泣けるんですよ…。
詳細については下記の記事をご参照ください。
多くの共通項を持つ『ロケットマン』と『ボヘミアン・ラプソディ』ですが、観終わった後の爽快感に大きな差を感じたのは僕だけでしょうか。
物語の良し悪し、映画としての完成度などの要素を抜きにして、<爽快感>だけを評価すると、
『ボヘミアン・ラプソディ』 < 『ロケットマン』
という結果になりました。(調査対象:りょうさん)
『ボヘミアン・ラプソディ』に爽快感を感じなかったわけではありません。
むしろ、最後のLive Aidにおける壮大なライヴシーンでは、とてつもない感動と爽快感を覚えたほど。
では、なぜ『ロケットマン』の方に軍配が上がったのか?
僕の中の稲川淳二が、なんだろうナー不思議だナーこわいナー嫌だナーと頭を振り絞って考えた結果、
やはり、フレディ・マーキュリーが亡くなっているからだろうナー
という身も蓋もない結論が導き出されました。
医学が進んだ現代と異なり、当時の医学水準では、HIV感染は死亡宣告に等しいものだったでしょう。
自分の寿命がそれほど長くない事を悟ったフレディは、自分の人生という物語を最高の形で閉じる方向へ舵を切ったはずです。
そして、彼は見事にそれをやり遂げ、偉大な人生の幕を閉じました。
一方、エルトン・ジョンは健康に不安を抱えてはいますが、ライフスタイルを改め、人生を軌道修正する方向へと進む事を決意します。
物語を閉じさせない努力、と言ってもいいかもしれません。
「閉じる物語」と「閉じない物語」。
この違いが爽快感の差なのかナーと僕の中の稲川淳二が申しておりますが、もちろん異論は認めますし、「逆に『ボヘミアン~』の方が爽快感あったよ!」という方のご意見を傾聴させていただきたいマイライフです。
それでですね、同じような境遇のミュージシャンをもうひとり知っているんですよ。
同性愛者ではありませんが、問題のある家庭環境で育ち、音楽に人生を救われ、成功と挫折を味わい、苦楽を共にした仲間に見放され、ここ数年で再びその仲間との友情を取り戻したという人を…。
しかも、フレディやエルトンと同じくピアノを演奏するんですよ、その人…。
ええ、アクセル・ローズっていうんですけどね。
もしも彼の伝記映画が作られるなら、そのタイトルは何がふさわしいんだろ…。
『マイ・ワールド』かな…。
最後に“エルトン・ジョンとアクセル・ローズが歌うフレディ・マーキュリーの楽曲”という奇跡のコラボレーションをご覧ください。
Bohemian Rhapsody (Live) (HD) - Axl Rose / Elton John / Queen