これからの時代はYouTuberだよ、君ィ

どうも。満身が創痍している僕です。

身体の8箇所くらいに常に痛みを抱えておりまして、経営状態が芳しくない医療機関を受診しようものなら、病床を埋めたい一心で医師から入院を勧められるレベルの生活を送っているマイライフです。

 

まあ、そんなわたくしの健康状態のことはさておいて。

 

みなさん、YouTuberってご存知ですか?

 

わたくしも詳しくは存じ上げないのですが、子供だましの とても面白い動画や カスみたいな陰謀論 興味深い知的な動画、社会の屑みたいな迷惑系 身体を張ったチャレンジングな動画などをYouTubeにアップして視聴者を楽しませる人たちのことらしいのです。

ここ数年、若者の「なりたい職業ランキング」の上位にランクインするなど、社会的認知が飛躍的に向上している将来有望な職種だと聞いております。

インターネット版大谷翔平選手みたいなものでしょうね、きっとね。知らんけどね。

 

そんな前途洋々な職業に憧れた人がわたくしの周りにもおりまして。

ピクセルアーティストのTAKEKIYOこと武田清さんがそれなのですが、毎日のように「YouTuberに俺はなる!」とDMを送って来るわけです、勝手に。

 

まあ、資格が必要な職業というわけではありませんし、コンピューターに詳しい武田さんのことなので「勝手にやったらいいがな、そんなん」と放置しておったのですが、どうやら「ひとりだと寂しいのでイヤンイヤン」ということらしく、わたくしも参加するよう勧誘してくるではありませんか。それはそれは執拗に。

 

わたくし、おしゃべりが非常に苦手な人間でございまして、仕事などで人前で何かを話すのも苦痛なのに、そのおしゃべりがインターネットの海に放流されるなど考えただけでも恐ろしいこと。海洋恐怖症もあるのでなおさらです。

 

しかし、徳川埋蔵金を探す糸井重里よりも諦めないのが武田清という人。

「俺をYouTuberにさせてくれ!」という熱意に負け、とりあえずお試しで何本か録音することに同意してしまいました。誰が。わたくしが。

 

まあ、1本録ってみればわたくしのおしゃべりスキルのダメさ加減を思い知り、「こりゃ使えんわ」とあきらめてくれるものだと考えておりましたし。誰が。わたくしが。

5月某日、都内某所の某友人のお宅にお邪魔してビアなどを飲みながら3本ほど録音いたしました。

 

えー。結論から言いますと、そのうちの1本がことのほか面白いという評価を受け(当社比)、とんとん拍子で動画化に至ってしまいました。

何の準備もしていないアドリブ100%の素人フリートークを公開しても大丈夫なのでしょうか。需要があるのでしょうか。

 

チャンネル名は「ボクら物販待機中」。

ビアを飲みながら適当につけたわりにはなかなかのチャンネル名だと思っておりますが、話のクオリティについては正直自身がございません。

特にわたくしの滑舌が終わっておりますので、視聴される際は必ず字幕もご確認ください。

 


www.youtube.com

 

そんなわけで、ついに叶ってしまった武田清さんの夢。

武田さんが大谷翔平なら、わたくしは水原一平ちゃんとしていけるところまでお供したいと思います。

よさげなネットカジノがあったら教えてください。よろしくお願いいたします。

 

第2回以降のストック音源がまったくない状態なので、「このテーマでやってくれ」などありましたら武田清さんのアカウントまでご連絡ください。

よろしく哀愁でございます。

 

右が武田清先生(緑カーティガン野郎)

 

勝手な人たちが多いネ

どうも。誰ですか。あ、僕です。

いやいや、長すぎる夏が終わったと思ったら急に寒くなってまいりましたね。冬ですか。

すみません。秋はどこに行ったんでしょうか。ムショですか。

わたくし、四季のなかでも秋は人気のあるメンバーだと思っていたのですが、こんなに出番が少なくて大丈夫なのでしょうか。それが事務所の方針なのでしょうか。

ほら、歌割りとかソロパートとかもっと増やしてあげた方がいいんじゃないですか。ファンも不満に思って事務所の悪口などをインタネッツに書き込んだりしてしまうのではありませんか。

 

ファンが不満に思うだけならまだいいのですが、当の秋自身が自分の立ち位置に悩んだ末にグループを脱退、事務所を退所などという事態に発展してしまう可能性もあるわけです。

そのような状況になった場合、夏や冬が「秋、今までありがとう。今後の活動を応援しています。秋が抜けた分まで自分たちが頑張ります」などと優等生的なコメントを出して今まで秋がいたパートを埋めたりすることになるわけです。

つまり春、夏、秋の3人編成になるわけです。そしたら大変なことになりますよ、あなた。

 

なにが。電気代が。

 

並び的に秋のパートを春が埋めることはできませんから、夏と冬の歌割りやソロパートが増えることになるわけです。死んじゃうね。

 

だれが。我々が。

 

さらに「個性がないよね」などというファンからの心無い書き込みを見た春がグループ脱退ならびに事務所退所を選んでしまう可能性もゼロではありません。

そうなったら夏と冬のデュオ編成。これはもう最悪のひと言に尽きます。本当に大変なことになりますよ、あなた。

 

なにが。電気代が。

 

ね、だからインタネッツに辛辣な書き込みをしたりするのはやめましょうね。春も秋も自分たちなりに頑張って欲しいですね。ナンバーワンじゃないオンリーワンの花になったりしてね。

 

あ。本題に入ってよろしいですか。こんなくだらないお話に付き合っている暇はないでしょう。あなたもわたくしも。そして、あなたの後ろにいる髪の毛の長い女の人も。

 

 

みなさま、SNSってご存知でしょうか。

そうです。自分の主張や意見、戯言やら妄言、動画に画像などを好き勝手に(ガイドラインに従って)投稿できるインタネッツの便利なツールです。

実はですね、わたくしもやっております、SNS。まあ、「やっている」といってもそんなにたくさんやっているわけではなく、天気のいい週末の午後などに少しだけ触って「ほほん。色々な意見がありますね」と目を細めたりする程度ではありますが。

 

SNSに投稿されている様々な書き込みを目にするうちにですね、とある事実に気付きました。みなさまにおかれましても薄々気付いている事柄かとは思いますが、本日はそれをテーマにやっていきたいと考えております。よろしくお願いいたします。

 

わたくしが気付いたこと、それは何かと申しますと

 

 

込められてもいない悪意や感情を他人の言葉のなかに勝手に見出してしまう人が存在する

 

 

ということです。

 

そのような特殊過ぎる感受性を持った一部の人たちはですね、見ず知らずの人たちの言葉のなかに込められてもいない悪意や感情を敏感に感じ取って、勝手に怒ったり傷付いたりしてしまうわけです。

まあ、勝手に気分を害しているだけなら問題ないのですが、そのセンサーが完全にバグった人たちは投稿主に対して「わたくしは大変傷付いた」「謝罪しろ」「投稿を消せ」「アカウントを消せ」「死ね」だのといった不当かつ理不尽な要求を送りつけて来るからタチが悪い。まさに感情の当たり屋。

 

この現象は規模が大きくなると“炎上”などと呼ばれ、当事者が有名人だったりするとネットニュースになって巷を面白おかしく賑わせたりするわけです。

気の毒なのは一般人がターゲットになった場合で、反響の大きさに驚いてアカウント自体を削除してしまうケースも少なくありません。

 

もちろん、自分の投稿を客観的に振り返ってみて、内容や言葉遣いに配慮が足りないと感じた場合は謝罪や投稿削除をするべきだとは思うのだけれど、投稿者側に非がないのに“事態を収拾するため”だけに謝罪をしていると思われるものが目立ちます。

 

それがね、非常に気に食わないんですよ、わたくしは。勝手に腹を立ててギャーギャー騒いでいる連中にも、それに屈してしまう人にも。

特に投稿者側に言いたい。3日も放置しておけば新しい怒りや傷付きの対象を見つけてそっちでやいのやいのやっているような連中に、あなたが心を痛める必要があるのかと。

名作ゲーム『スペランカー』の主人公くらいの傷付きやすさの人に基準を合わせても仕方ないでしょう。そんなことしてたらアカウントを何回作り直しても足りないッスよ、マジで。(『スペランカー』がわからないお友達は年上のお友達に訊いてみよう)

 

突然の例え話で恐縮ですが、あなたがカラオケ屋にいるところを想像してください。

あなたが好きな曲を歌っている時、いきなり部屋のドアが開き、そこに立っている見知らぬ人間が開口一番「わたしの持ち歌を勝手に歌わないでください! わたしはとても傷付きました! 謝ってください!」などと訴えてきたらどうでしょうか。

 

 

すみません、誰ですか?

 

 

それ以外の反応はあり得ないのではないでしょうか。

SNS上にいるセンサーぶっ壊れ民たちの訴えなんて本当にそれくらいの価値しかないですよ。

それはあなた自身が対処すべき事柄ではなく、すべて相手方のバグった思考回路のなかで勝手に発生している現象なので、それに対して心を砕く必要なんて1秒もないんです。

よくわからんリプライが来たら、心のなかで「すみません、誰ですか?」とつぶやいてミュートするだけでいいのではないでしょうか。

(※ 「すみません、誰ですか?」はわたくしのすべらない話「大槻くん」に出て来るフレーズです)

 

とても雑なまとめになって申し訳ありませんが、勝手に怒ったり傷付いたりしてしまう人たちは、その繊細な感受性を生かして怒りと傷付きに満ちた素敵な人生を送っていただきたいですね。

わたくしは天気のよい週末の午後などに楽しげなSNSライフを満喫していきたいなと思っている次第です。よろしくお願いいたします。

「卑屈」という熟語を生み出した人の観察眼とセンス

つい先日、とても嬉しいことがありました。

Twitter(現:Twitter)にですね、フォロー外の方からDMが届いておりまして、最近は出会い系だの投資系だのといった不審なDMが多く入るものですから、今回もその類いだろうと読まずに削除しようと思ったのですが、詐欺系のそれとはどうも雰囲気が異なるように思えたので読んでみることにしたわけです。

なにを。DMを。

誰が。わたくしが。

 

そしたらですよ、Googleなのかヤホーなのかわかりませんが、検索エンジンでたまたま見つけた当ブログを読んで気に入っていただき、Twitterでわたくしのことを探して連絡をくださったというじゃありませんか、あなた。

めちゃくちゃ嬉しいじゃありませんか、あなた。

 

読んでもらえただけでも嬉しいのに、わざわざ本人を探してご連絡までしてくださるなんて、本当にありがたいことですよ。こちとら常日頃から口にすることの8割が戯言という取るに足らないおっさんなのにですよ。

このブログをやっていてよかったと心底思えた出来事でありました。

 

などと大きな喜びを感じる一方、わたくしのようなおっさんのために貴重なお時間を使わせてしまって恐縮すぎる、こんな戯言の塊でしかないブログを読ませること自体どうなんだ、などと申し訳なく感じる気持ちも…いや、フィールも湧き上がってくるわけです。

 

わたくし、非常に自己肯定感の低いマイライフを送っている人間でして、今回のような素直に喜ぶべきイベントに遭遇した時に「立派な人生を送っているお方が、わたくしなんぞのために…」となってしまうのです。よくないのはわかっておるのですが、そう思ってしまうマイライフなのです。

 

その自己肯定感の低さが顕著に発揮されるのが、人を誘う or 人から誘われる時でして、こちらからお誘い申し上げる際には「わたくしなんかに誘われてさぞ迷惑だろう。誘いを断るのって神経使うし、気乗りしないのに来ていただくのは誠に申し訳ないなあ」などと考えてしまうし、ありがたくもお誘いを頂戴した際には「気を遣ってお誘いいただいたのではないでしょうか、すみません。わたくしのような者を混ぜていただいて恐縮でございます」などと大変卑屈な心持ちになってしまうのです。

そんなことを考えること自体がめちゃくちゃ失礼なのだとは思うけれどね。

 

あのー。国際ロマンス詐欺ってあるじゃないですか。

「急になにを言い出すんだ、このおっさんは」と思った方、お気持ちはよくわかりますが、少しだけ落ち着いてわたくしの話を聞いてください。話せばわかる。ジャストアモーメントプリーズ。

 

そう、国際ロマンス詐欺です。

見ず知らずの外国人が急にすり寄って来て、ターゲットに恋心を芽生えさせた後、その気持ちを利用して金銭をだまし取るというアレです。犯罪です。クライムです。

念のために断っておきますと、これからわたくしが述べることは国際ロマンス詐欺の被害者を馬鹿にする意図は一切ありませんし、犯罪はまったくもって許されないことで1件残らず検挙されるべきだと考えておりますので、それを踏まえた上で続きをお読みいただければと思っております。よろしく哀愁です。

 

先ほど申し上げた通り、わたくしは非常に自己肯定感の低い人生…いや、マイライフを送ってきたものですから、国際ロマンス詐欺の被害者の方々のように「見ず知らずの外国人が自分を好きになってくれた」などと思える強烈なまでの自己肯定感の高さは冗談抜きで羨ましい限りなのです。

どんな人生を送ったら、会ったこともない海外の人が自分に恋をしているなんて思えて、「この人が自分を裏切るわけがない」と確信して言われるがままに金銭を渡すことができるのでしょうか。

そこには「自分なんて」という卑屈な気持ちが入り込む余地が一切存在しないように思えるのです、わたくしには。マイセルフには。

もちろん、そういった考え方を利用されて犯罪被害者になってしまったわけで、そのことは大変気の毒に思うのだけれど、自己肯定感の高さには憧れに近いものを抱いてしまいます。

わたくしも高い自己肯定感を持ちたい、マイハートに。そして、それと同時に国際ロマンス詐欺に引っ掛からない防犯意識も持ちたい、マイハートに。

 

まあ、そんなよくわからない戯言を今回も垂れ流しているわけですが、わたくしがなにを申し上げたいのか、なにを言いたいのか、なにを伝えたいのかと申しますとですね、次の2点になるわけです。

 

 1. 褒められたり誘われたりすると、なんだかんだ言って嬉しい方が勝るぜ

 2. 国際ロマンス詐欺は絶対ダメだぜ(国内ならいいとは言っていないぜ)

 

みなさまにおかれましては、上記2点をご理解いただいた上でそれぞれの日々を過ごしていただければな、と思う次第であります。

当ブログにつきましては、今後はこんな感じの雑談記事も増やしていけたら嬉しいナーなどと考えております。

引き続きよろしくお願いいたします。

君はロックバー叫びを知っているか

鶯谷という場所がある。

いや、正確に言えば、無い。

何を言っているのかと怒られそうだけれど、現在は地名としての鶯谷は存在せず、駅名としてその名を残すだけとなっているようである。

東京都台東区にあるエリアで、いわゆる下町ということになるのだろう。

いわゆる下町と呼ばれるエリアなのだと思う。

 

駅周辺には居酒屋やホテルが立ち並び、お世辞にも綺麗な街並みではない。

若者に人気の街でないことは明白だし、好きな女の子をやっと遊びに誘うことが出来た男の子が初めてのデートの場所に選ぶこともないであろう。

アンケートの「住みたい街ベスト10」に入ることも未来永劫なさそうな街である。

「あこがれ」というよりも「たそがれ」、そんな言葉が似合いそうな街なのだ、鶯谷は。住んでいる人にぶっ叩かれるかもしらんけど。

 

いや、別に鶯谷を褒めたり貶したりしたいがためにこんな記事を書いているわけではないのですよ。

わたくしはロックが好きなもので、たまーにロックバーと呼ばれるロック音楽を聴かせる酒場に行くことがあり、行った際にはビアを片手に音楽に合わせて身体を少し揺らしたりもするのだけれど、鶯谷にもその手のお店があるのです。

 

「ロックバー叫び」なる厳つい名前のお店がそれだ。

これが「Rock Bar Scream」なんて名称で渋谷あたりに店を構えていたら「おっ。ちょっくら行ってみようかな」となるのだが、なんせ「ロックバー叫び」で鶯谷である。

遺書のひとつも遺して行かないとおいそれと足を運ぶことは難しいでしょう。

 

いきなり営業妨害に近いようなことを書いて来訪のハードルを上げてしまったのだけれど、実際のところ、わたくしはこの店をすこぶる気に入っている。

お酒の味、マスター(とアルバイトのバーテンダー)の接客、雰囲気、音響など気に入っている要素は数あれど、ロックバー叫びをわたくしにとって特別なお店にしている理由は「とてつもなくロック」だからである。

以下にその理由を説明していく。

飲食店に「とてつもなくロック」を求めていない人はこの先を読む必要はなく、タレントのヒロミさんのWikipediaなどを流し読みしていただければいいと思う。

 

 

鶯谷のロックバー叫びは、カウンターのみ10席ほどのこじんまりとしたバーである。

基本的にマスターのとっしーさん(大きな身体に巨大なロックな魂を宿した心優しい男性)が一人で切り盛りしている個人経営店で、ドアを開けた瞬間に目に飛び込んでくるのは手前から奥まで椅子がズラリと並んだ光景なので、ほとんどの人の第一印象は「細長い」ということになるだろう。そして、その次にやって来る印象は「照明が赤い」であるはずだ。

細長くて照明が赤い店、それがロックバー叫びなのである。

 

ロックバー叫び外観

照明がすごく赤い



 

これを読んで「そんなロックバー、どこにでもありそうじゃない。わざわざブログにすることないじゃない。舐めてるの、俺を?」と言い出す人もいるかもしれない。いや、きっといるだろう。

早合点してもらっては困る。ロックバー叫びが狂っているのはここから先の話である。

 

10席ほどの個人経営ロックバーということもあり、マスターの食い扶持を稼ぐ程度に細々とやっているお店だと思うじゃないですか、普通はね。

しかし、ロックバー叫びの音響設備には300万円ほどが投資されているとのことで、それはもう凄まじいサウンドで音楽を楽しむことができるのです。

もう一度言いますが、カウンター10席ほどの個人経営のロックバーですよ。

わたくしは初めてお邪魔して音楽を聴かせていただいた時、この店主は軽自動車にF1カーのエンジンを乗せる狂人だと思いました。

ジェフ・バックリィの“Hallelujah”を流してもらった時はマブで泣いた。

 

しかもね、お酒の種類もすごいんですよ。ボトルを眺めているだけでも楽しめるレベル。

ロックバーの看板を掲げているお店のなかには「適当な酒を出してロックを流しておけばいいだろう」みたいな志の低いところもあるじゃないですか。

まあ、それでお客さんが満足して経営も成り立っていればいいのかもしれないけれど。

それとは真逆をいくのがロックバー叫び。わたくしの知人のウイスキー大好きおじさん(埼玉県・会社経営)が満足するレベルのお酒を備えた優良店なのです。

ロックバーと名乗る以上、「ロック」も「バー」も1ミリたりとも妥協できないという姿勢、めちゃくちゃ好き。妥協できない人、好き。

 

マスターがいい感じに狂っているので、その匂いを嗅ぎつけて来る客も狂っております。

テンションのメーターが振り切れたモッシュ神(恥ずかしながら知人)がまさかの店内ダイヴを敢行。

店内でクラウドサーフが巻き起こるロックバーなんて世界広しと言えども叫びだけではないでしょうか。カウンター10席のロックバーでやるようなアクションじゃないんですよ、普通はね。

しかし、そんなカオス…いや、ケイオスすら飲み込んでしまう度量の大きさが鶯谷という街にはあるわけです。すごい街ですよ。

 

あれは昨年の話だったか、お店に顔を出すとマスターのとっしーさんが「いやー。こないだの周年イベントの時、お客さんがずっとジャンプしていたので床がベコベコになっちゃって…。業者を呼んで張り替えてもらったんですよ。大打撃ですよ」と人のよさそうな困り顔で珍事件の顛末を教えてくれました。

わたくしが「そんな酷い客がいるのか。困ったものだ」とビアを片手に憤っていると、そこに前述のモッシュ神が登場。

叫びで会うのは初めてだったので「よく来るんですか?」などと話を振ってみたところ、「いやー。こないだ盛り上がって跳ねまくってたら床をへこませちゃって」などと誇らしげに武勇伝を披露するではありませんか。

 

犯人、お前かよ!

 

まあ、そんなモッシュ神も足繁く通うロックバー叫びですが、わたくしがこのお店を気に入っている理由として挙げた「とてつもなくロック」はそういうことではありません。(部分的にはそうかもしれないけれど)

わたくしがロックバー叫びに共感しているのは、マスターのとっしーさんが「ロックを体験する場所、理想のロックを鳴らす場所」を創り出すため、文字通り身を削ってお店を営業しているところなのです。

その献身ぶりは「もしかして、とっしーさんはご自身の身体よりもロックバー叫びを大切にしている?」と感じてしまうほど。

とっしーさんはきっと、ロックバー叫びに心底惚れているのだと思う。

 

そう考えれば、SNS上で賛否両論を呼んだとっしーさんの投稿(ざっくり言えば「単価の低い客ばかりだと店が継続できない」という話)も大いに納得がいく。

自分の理想のロックを鳴らす場所、命よりも大切なロックバー叫びの未来に影を落とすかもしれない状況には、たとえ自分が悪者になったとしても苦言を呈さずにはいられなかったのだろう。

客商売である以上、店側がお客さんを選ぶことはできないが、「こういう考え方を持った店主がやっています」と広く知ってもらえたことは結果としてよかったのではないかと思う。

また、この記事では触れられていないが、某バンドのファンのクソ客率が高かったので某バンドの楽曲のリクエストを禁止したという話も最高だ。(これはご自身で調べてみて欲しい)

 

nikkan-spa.jp

 

む。ここまでの説明を読んで「堅苦しい店」「気難しい店主」などと思われてしまうのは本意ではないので補足するけれど、ロックが好きな人なら大いに楽しめること請け合いのロックバーです。

先ほどの記事を読んで「高いお店?」という印象を受ける人もいるかもしれないが、音響システムの凄さ、お酒のクオリティなどを考えれば安すぎるほどだと思う。わたくしが初めてお邪魔した時、提示された会計金額を見て「これ、間違ってない?」「マスター大丈夫?」「意味のわからないハッピーアワー発動した?」などと同行者と話し合ったほどである。

最初から最後まで「狂ってるナー」と思わせてくれるの本当に好き。

 

そんなロックバー叫びが7周年を迎えました。

周年イベントが9月5日・6日に開催されるそうなので、興味のある方は短時間でも顔を出してみてはいかがでしょうか。

立ち飲み形式は嫌だヨーという方は通常営業の日に是非。日・月が定休日となっております。

 

 

こんなブログを書いていたら鶯谷に行きたくなってしまうネ。

理想のロックを鳴らす場の一部になれたら本望。

極上音響ロックバーで乾杯いたしましょう。

 

(以下、2025年9月12日 追記)

 

本記事の最後でご紹介したロックバー叫びの7周年記念イベントに行ってまいりました。

別記事にするのもアレなので、この記事に追記する形でご報告とさせていただきたい。

 

9月5日・6日の2日間にわたって繰り広げられた狂気の宴、わたくしがお邪魔したのは2日目にあたる土曜日であった。

開店時刻である20時少し前に到着すると、店の前にはロックバー叫びの周年を祝いたくて仕方がないといった面持ちの先客がすでに数名。

初日のイベントに参加して朝まで騒いでいたという猛者もおり、わたくしのような虚弱体質なおっさんでは太刀打ちできない空気を早くも肌で感じることとなりました。

 

周年イベント当日のロックバー叫び入口

ちなみにこちらが当日のロックバー叫びの入口である。

とてつもなく圧が強く、仮にイングヴェイ・マルムスティーン本人が通りがかったとしても、目をそらして素通りする可能性が高いのではないかと思えるほどだ。

また、ロックを知らない人が見たとしたら、フリーメイソンなど秘密結社の集会場だと理解されるのではないだろうか。まあ、当たらずとも遠からずである。

(注:この周年イベントのフライヤーはイングヴェイ・マルムスティーンの『The Seventh Sign』のジャケットのパロディ。7周年だから“The Seventh Sign”なんですね、きっとね)

 

いつもは入口から奥に向かって椅子がズラリと並ぶロックバー叫びだけれど、周年イベント時は椅子をすべて撤去しての立ち飲みスタイル。

開店後は次から次へとお客さんが入って来て、店内はあっという間に満員状態で、わたくしが陣取った最深部はほとんど冷房が効かないほどの熱気でありました。

ちなみにロックバー叫びには特製ティーシャーツが何種類かありまして、わたくしはこちらを着用してお伺いした次第です。江戸っぽさがあって非常に気に入っております。

ロックバー叫び特製ティーシャーツ

わたくしは愛の街川崎に住んでおるもので、万が一にも終電を逃すことがないようにお店に着いた時点でジョルダン乗換案内で帰りの電車をしっかりと確認し、ことあるごとに現在時刻などを確認しておったのですが、爆音で鳴り響くロックの名曲の数々、美味しいお酒、楽しい会話、場の空気、人をかき分けて外に出ることの面倒くささ、などといった様々な要素の影響を受けて朝までコースを決意、結果的に20時から翌4時までの計8時間をロックとお酒にまみれながら過ごすこととなったのです。立ちっぱなしで。

 

まあ、結論から申し上げますと、朝までコースを選択して大正解でした。

世の中にこんな楽しい場所があるのかって言いたくなるくらい楽しかった。

ロックバー叫び名物、店内クラウドサーフを生で観ることができた時は心底感動いたしました。マスターのとっしーさん、バーテンダーのサラちゃん、常連客のモッシュ神が宙を舞う光景は一生忘れることがないでしょう。

こんなに狂ってるロックバー、世界のどこを探してもないですよ。完全に頭がおかしくて好き。

 

この日もモッシュ神は絶好調で、登場した瞬間からわたくしを大いに笑わせてくれました。

だってあなた、自分がクラウドサーフを決める直前の写真がプリントされたティーシャーツを着て登場したんですよ、モッシュ神は。

聞いたところによると昨年開催された某カヴァレラ兄弟の来日公演で撮影された写真のようで、柵だかオーディエンスだかの上に立ったモッシュ神が「我は覇者なり」といったキメ顔をしている図がバーンと印刷された最強のティーシャーツでした。

世界に2枚しか存在しないレア物だそうですが、2枚も存在する時点で冒涜的だろ、完全に。モッシュ神、マブで頭おかしくて好き。

(注:「我は覇者なり」がわからない人は「すべらない話」の小籔千豊さんの名作トークをご覧ください。プロの芸人のプライド、そして小籔さんの性格の悪さが炸裂する大傑作です)

 

2025年9月6日のモッシュ神がどのくらい絶好調だったのかがわかるエピソードをもうひとつだけ紹介しましょう。

深夜1時の鶯谷、完全にベロベロになったモッシュ神の足元がこちらです。

鶯谷で靴を紛失する成人男性

なぜだか靴を両足とも紛失したとのこと。

カウンター10席ほど(通常営業時)のロックバーでどうやったら靴が行方不明になるのかわかりませんが、どうやら少し外出した際に脱ぎ捨ててしまったようです。

殺し合いみたいなモッシュが起こるライヴの終演後、脱げた靴や踏みつけられた眼鏡などがフロアに落ちていることはよくあるけれど、ロックバーで靴が消えるのは斬新すぎる。何が起こっても不思議じゃない鶯谷、わけわからなくて好き。

(注:その後、モッシュ神の信徒たちの活躍によって無事に靴を回収できたそう)

 

モッシュ神の話ばかりになってしまうので話題を変えよう。

ロックバー叫びの周年イベント名物「叫BINGO」(楽しんごのアクセントで)も面白かったー。

簡単にシステムを説明すると、とっしーさんが流しそうな楽曲を3×3のマス目に書き入れて、2列揃ったらビンゴというゲームなのです。

わたくしが予想した楽曲はこんな感じでございました。

初体験の叫BINGO

せっかくなら勝ちたいと思い、王道曲を多めに並べるという堅実な選曲です。

しかし、蓋を開けてみれば2列どころか1列も揃わず非常に悔しい思いをいたしました。

アーティストは当たったのに違う曲が流れてしまうことも多々あり、「叫BINGO、これはとてつもなく難しいゲームだぜ」と8周年イベント時でリベンジを果たすことを誓った次第であります。

(注:ずいぶん後になって、書くのはアーティスト名だけだって知った)

 

あ。モッシュ神とその友人を除けば、わたくしが面識のある方はいなかったのだけれど、「叫びのブログ(つまり、この記事のことだ)を読みました」と数人からお声掛けいただけたのは本当に嬉しかった。

書いたものが誰かに届くというのは非常に幸せなことですね、こんな零細ブログであったとしても。

この追記をお読みになるかはわかりませんが(まあ、読まないでしょう、普通はね)、この場を借りて改めて感謝を述べさせていただきます。またお店でお会いいたしましょう。

 

わたくしが店内にいた約8時間、これでもかというほどロックの名曲を全身に浴びまくりました。

あんな爆音で長時間にわたって音楽を聴いて、その後遺症が翌日まったく残らないのはすごいナーと思った。口を耳元に寄せて話をしないといけないくらいの爆音なのにね。よいお酒は二日酔いにならないみたいなものでしょうか。300万円の音響システムは伊達じゃないですよ。サウンドがすごすぎて好き。

 

本当に色々な曲を聴いて楽しませてもらったなかで、特に印象に残ったのがチバユウスケの声でした。特に“青空”が素晴らしくて泣きそうになってしまった。

とんでもなくイカした歌を歌う人ですよね。わたくしは特に“ブギー”が好きです。

赤い照明の中で聴くチバユウスケはことさらにイカしていたので、彼の声を聴きたくなってしまった時は叫びに足を運んでみようと思います。(かかるかどうかはわからないけれど)

 

はー。少しだけ追記しようと思ったのに意外と長くなってしまった。前半と文体も違うのも少し気持ち悪いネ。

周年イベントの感動が抜けないうちに改めてお邪魔しようと思っているので、もしもお店でお会いできたら乾杯させてください。

よろしく哀愁でございます。

 

マナーを捨てるな、マナステ

どうも。僕です。

今日はですね、緊急でブログを更新しております。

メンタルがYouTuberなもので。

 

 

えー。日傘ってあるじゃないですか。

以前は女性がもっぱら紫外線対策で使用していたというイメージですが、ここ最近の破滅的な暑さにより、今や男女問わず持ち歩くようになりました。

わたくしは使ったことがないのだけれど、体感温度がかなり下がるようですね。

 

まあ、命に関わる暑さが当たり前になってしまった今、日傘の使用は自身の健康を守ることにも繋がるので積極的に推奨されるべきなのでしょう。

ただ、マナー的にこれはいかがなものなのかと疑問に思うケースも多々ある。

 

一番わかりやすい言葉で言うならば、物理的に邪魔、ということになるだろうか。

 

形状が傘である以上、物理的にスペースが必要になるのは当然のことなのだけれど、歩道のど真ん中をデカい日傘を片手にのろのろ歩く、対向者とすれ違う側の手に日傘を持ってどける素振りすら見せない、といったシーンに出くわすたびに「もう少し配慮するべきなのでは」と思ってしまうのだ、わたくしは。

 

自分が使わないことを差し引いても、雨傘と比べて日傘は「お互い様」とは思えない気持ちがある。マイハートの中に。

雨傘っていうのはもちろん、自分が濡れたくない、自分だけは乾いたままでいたい、などの利己的な理由で使用されるのだけれど、それ以外にも、ずぶ濡れの状態でよそのお宅や会社にお伺いするわけにはいかない、全身びっしょびしょで満員電車に乗れるわけないだろう馬鹿野郎、といった他人への気遣いのために使用される側面もあるわけです。そんな社会性を持った使われ方もするわけです。

 

それに対して日傘は、自分の快適さの向上、不快感の軽減、将来のシミ予防など100%自分のため、マイセルフのために使われるわけで、他人のためという性格は有していないのですよ、奥さん。

そんなわけなので、日傘を使うならもう少し周りに配慮して欲しいナーというのが本日こうして緊急でブログを更新している理由です。

 

ということをですね、先ほどわたくしの顔面にすれ違いざまに日傘をヒットさせ、振り返りもせずに歩み去って行った女を頭の中で100回くらい殺しながら考えておりました、今。

 

 

ぼくらが「Pixel Art Park 8」に行く理由

どうも。夏ですね。

「芸術の夏、日本の夏」などと申しますが、みなさまにおかれましてはいかがですか。

アートしてますか。

 

あ。申し遅れました。僕です。

今日はですね、素敵なアート系イベントのご紹介をさせていただきたいなと思っております。

思っているだけでなく、実際にご紹介していきたいなと思っております。

よろしくお願いいたします。

 

 

8月3日(日)に横浜の大さん橋ホールで「Pixel Art Park 8」というピクセルアートのイベントが開催されるのですよ。

「日本最大級のドット絵の祭典」と銘打たれたイベントで、国内外のクリエイター130組以上が参加する大規模なものだそうです。

 

わたくしの知り合いに武田清さんという方がおりまして、武田さんも同イベントに参加されるとのこと。

武田さんは音楽やゲーム、映画に造詣が深く(本人は「広く浅く」と自称しているが、真っ赤な嘘)、特にミュージシャンをモチーフにしたピクセルアートがアーティスト本人からも高い評価を受けている方です。

 

 

こちらが武田さんのTwitterアカウント。

本名が武田清なのでTAKEKIYOという名義を使用しているようです。

666は「余罪が666あるから」と言っておりましたが、たぶん本当はもっと多いと思う。

 

わたくしは武田さんとわりと親しくさせていただいておりまして、どのくらい親しいかと申しますと、お互いを「武田さん」「川崎さん」と上の名前で呼び合うくらいの親しさなのです。

そんなマブダチの武田さんからお声掛けを頂戴し、このたびゲーム制作のお手伝いをさせていただくことになりました。

ピクセルアーティストがゲーム?」と訝る方もいらっしゃるかもしれませんが、武田さんは某有名ゲームメーカーの元社員で、現場でバリバリにゲームを制作していた経歴の持ち主なのです。

 

今回の「Pixel Art Park 8」に出品するのは『WARASIBE CHORGER HEAVEN(ワラシベ・チョージャー・ヘヴン』というタイトルで、いわゆるビジュアル・ノベル物のゲームになっております。

文章を読み進めていき、途中に出て来る選択肢によって先のストーリーが変化するシステムのゲームです。同ジャンルの有名作品としては『かまいたちの夜』などがございますね。

わたくしはですね、『WARASIBE CHORGER HEAVEN』のシナリオ部分を担当させていただきました。

小生意気なねこちゃんがしゃべりまくるハードボイルドな作品に仕上がっておりますよ、ええ。

 

 

得意気にゲームの内容を紹介しましたが、実はまだ完成に至っておらず、遊んでいただけるのは体験版の状態の物になります。

上記のツイートにある通り、武田さんの展示ブースで猫ちゃんポストカードをお買い上げいただくと体験版をプレイできるシステムでございます。資本主義社会ですね。

猫ちゃん以外にも犬ちゃんポストカードや犬ちゃんティーシャーツも販売される予定でして、犬ちゃん派の武田さんはむしろそちらに注力している感すら漂っております。

 

「WARASIBE CHORGER HEAVEN」タイトル画面

バーのカウンターに座る猫ちゃん

 

武田さんに会いたい方、武田さんグッズが欲しい方、猫ちゃんゲームをやりたい方、横浜中華街に行きたい方(すぐ近くです)、山のピクミンをゲットしたい方(近所に山扱いのエリアが存在すると聞きました)がいらっしゃいましたら、8月3日は横浜までお越しくださいませ。

わたくしも武田さんに挨拶をしに行く予定でおります。

ゲームのタイトルの元ネタがわかる方も大歓迎です。(武田談)

 

 

【開催概要】

イベント名:Pixel Art Park 8

日時:2025年8月3日(日) 11:00~18:00

会場:大さん橋ホール

入場料:1,600円(小学生以下無料)

公式サイト:Pixel Art Park 8 - 日本最大級のドット絵の祭典

オジー・オズボーン、半ズボン

オジー・オズボーンが亡くなった。76歳だったそうだ。

2025年7月23日の早朝、オジーTwitter(現:Twitter)公式アカウントが投稿した他ならぬオジー本人の逝去を伝えるツイートを布団の中で目にした時、最初はその文章が意味するところをまったく理解することが出来なかった。

 

とにかく驚いた。こんなことがあるのかと驚愕した。

それに少し遅れてやって来たのは、悲しみとも少し違う微妙な感情。

これまでに経験したことのないその感情は、悲しみや驚き、感動などが入り混じった複雑なもので、「もしかしたら人間は奇跡を目の当たりにした時、このような感情を抱くのかもしれない」と思った。

まあ、そんな考えに辿り着いたのはオジーの死から一夜明けてからなのだけれど。

 

わたくしがオジー死去の報にこんなにも驚いたのは、ほんの2週間前の7月5日、彼が出生地であるバーミンガムで人生最後のステージを終えたばかりだったからだ。

“人生最後の”というのは結果論ではなく、「Back to the Beginning」と題されたそのイベントは、ライヴアクトとしてのオジー・オズボーンのラスト公演だと大々的に宣伝されたものだった。

ジーおよびオリジナルBlack Sabbath最後のライヴという貴重性、そしてMetallicaやGuns N' Rosesをはじめとするラインナップの豪華さによって4万枚のチケットは瞬く間に完売し、有料配信の視聴者数は全世界580万人にも達したという。そして、その580万人中の1人がわたくしである。

 

この説明だけ読んで「ステージに立てるほど元気だった人が2週間後に亡くなったのか。それは驚くよね、わかるー」と早合点する人もいるかもしれないのが、最後のコンサートにおけるオジーはまったく元気ではなかった。

この説明だけ読んで、デーモン小暮閣下の「吾輩は元気でなくなってしまった、急に」タイプの元気のなさ(詳細は調べてください)だと早合点する人もいるかもしれないが、オジーの元気のなさはそのようなアクシデントに起因するものでもない。

ここ数年、ずっと体調に不安を抱えていたのだ、オジーは。

 

脊椎の手術、肺炎、パーキンソン病の悪化など数々の怪我や病に苦しめられていたオジーは、2018年以来となるツアー復帰を希望していたものの、ついに復帰を断念。2025年7月5日に「Back to the Beginning」を開催し、そこを生涯最後のステージにすることを決意したのである。

 

パーキンソン病の進行によって歩行に制限があるため、オジーはこの日のために特注された漆黒の玉座に座ったままステージに登場、歌唱もその状態でおこなうスタイルであった。

マイクスタンドを掴まないと姿勢を保つことも難しく、落ち着きなく不安そうな表情を浮かべるオジーを見た時は、このような状態の老人をステージに上げることが正しいのか―本人が強く希望しているとしても―という思いが頭をよぎったが、歌い始めたオジーの声がそんな懸念を一気に吹き飛ばしてくれた。

その声は、僕らが知っているオジー・オズボーンの声そのものだったのだ。

数年にわたって健康不安に苦しみ、歩行すらままならなくなった老人が再びステージに上がるためにどれほどの努力を要したのか、このステージに懸ける想いと過酷な日々の爪痕がオジーの声から滲み出ているように思え、歌い出し1秒で涙腺が緩んでしまったのはわたくしだけではないだろう。

 

ジーが引退を口にしたのは今回が初めてではない。

1991年作『No More Tears』に伴うツアーを「No More Tours」と名付け、40代前半という現在の基準では考えられない若さで引退を宣言、約5年後にそれをあっさり撤回した前科があるのだ。

しかし、今回ばかりは本当の本当に引退だった。ライヴの2週間後にオジーが息を引き取ったという事実を抜きにしても、あの日のオジーの様子を観た人間であれば、「Back to the Beginning」が実現できたのは本当にギリギリのタイミングであったことが理解できるはずである。

 

ジーが亡くなったと聞いた時、最後のステージに立つための努力が結果として彼の寿命を縮めることになったのかもしれないと感じた。

そのことを本人に問うことはもう叶わないけれど、きっとオジー本人は後悔などしていないだろうし、自分のソロキャリアとオリジナル編成のBlack Sabbathに自らの手で終止符を打つことは彼の人生の締めくくりに絶対に必要なパズルのピースだったのだ。

陳腐な表現になるかもしれないが、たった1日だけパフォーマーとしてのオジー・オズボーンを取り戻すための命を賭した戦いに勝利したのだと思うし、その勇気を讃えたい。

だからこそ我々は、オジーの死を嘆くのではなく、あの日、あの場所に現れてファンに別れを告げてくれたことを喜び、彼の人生を祝福するべきなのだ。

 

「Back to the Beginning」最大のハイライトは、Metallicaでもなく、Guns N' Rosesでもなく、オリジナルBlack Sabbathでもなく、間違いなくオジーのソロセットにおける“Mama, I'm Coming Home”だった。申し訳ないが、この件について異論は認めない。

この曲はオジーの引退作になるはずだった前述の『No More Tears』に収録の名バラードで、人生という過酷な旅路を終えてついに故郷へと戻る男の心境が歌われている。つまり、波乱万丈のキャリアを歩んだオジーの人生を反映した歌なのだ。

しかし、オジーがあっさりと引退宣言を撤回して復帰を果たしたため、“Mama, I'm Coming Home”はその意味合いを失い、“ただの名バラード”のポジションに追いやられてしまった。「ただの名バラードってなんだよ」とは訊かないで欲しい。

 

それを踏まえた上での今回の“Mama, I'm Coming Home”である。

間違いなく生涯最後の機会になるであろうステージに上がったオジーの歌は、完璧なまでに楽曲が本来持っていた意味を体現していた。

ジーの声は時にひび割れ、不安定になったが、それこそが人生の過酷さに打ちのめされた末、ようやく安息の地を得ることが出来る男の歌声なのだとすら感じた。

感動の次元が違う、とでも言うのだろうか。これまでに聴いたどの歌よりも圧倒的に心に響いた。歌の内容と演者の人生がここまでリンクした瞬間がこれまでにあったのだろうか。

お恥ずかしい話だけれど、いい歳のおっさんが配信ライヴを観ながら号泣していた事実をここに書き残しておきたい。完全に泣き乱していた。

これまでの人生でオジーの言動に笑わせてもらったのと同じ分だけ泣いた。死去の一報では涙が出なかったのに、不思議なものである。

当日の模様は映画『Back to the Beginning: Ozzy's Final Bow』として来年初頭に公開されるという話なのだが、えらいレベルで泣き乱してしまう可能性があり、映画館で観るのを躊躇している自分がいる。「声出しOK上映」みたいな感覚で「泣き乱しOK上映」の回を設けていただきたい。よろしくお願いします。

 

ジーの邸宅近隣に住む人の話によれば、彼が死去した日には医療用のヘリコプターが来ていたらしい。おそらく救命が試みられたのであろう。

この事実からは、ご家族や医療者にとって予期せぬ死だったことが窺える。もしかしたら一番驚いているのはオジー本人なのかもしれない。

ライヴ活動から身を引いたとはいえ、あの声を保っているのであればスタジオアルバムをもう1枚か2枚出すことも可能だったはずだ。

 

それにしてもオジー・オズボーンがこんな“立派な死に方”をするとは誰が予想しただろうか。

万難を乗り越えて最後のステージに立ち、自分の姿と声をもってファンに別れを告げ、愛する仲間たちが一堂に会する機会を作り、日本円にして280億円もの寄付金を集めた後に愛する家族に見守られながら旅立ったのだ。

 

失礼を承知で言わせてもらえば、もっとトホホな死に方をする人だったはずなのだ、オジーは。

あの破天荒な生き方にふさわしい、ファンを「そりゃないぜ、オジー! あんたらしいけどさあ」と泣き笑いさせるような死に方、そんなクレイジー・トレインに乗ってしまった人生だったはずだ。

 

2003年、広大な敷地を持つ自宅の庭で四輪バギーを乗り回していたオジーは、何かしらの障害物に激突して全身の骨をバキバキに折る大怪我を負い、一時は人工呼吸器を装着するほど重篤な状態となった。

そう、こういうやつである。50歳を超えた大人が自宅の庭でバギーで事故って全身バキバキ、生死の境を彷徨う、ちょっと間抜けな感じすら漂う最期を迎えてしまうようなキャラの人だったのだ、オジーは。

 

しかし、現実は小説よりも奇なり。

ジーの人生を1000回やり直しても辿りつかないようなトゥルー・エンディングを迎えてしまった。迎えてしまった、は失礼か。

それまでのハチャメチャぶりを最後の1円まできっちり精算したかのような去り際。

悪魔として生き、聖人として死んだ男。

涙が出なかったのは、そのあまりにも美しすぎる最期のせいだったのかもしれない。

 

またどこかでオジーに会えた人はみんな口を揃えて訊くだろう。

「オジー、どうしてあなたの最後はあんなにも美しかったのですか? あなたはすべてがわかっていたのですか?」と。

ジーは少し困ったような、そして少し面白がっているような顔で答えてるだろう。

「Don't ask me, I don' know.」