オジー・オズボーン、半ズボン

オジー・オズボーンが亡くなった。76歳だったそうだ。

2025年7月23日の早朝、オジーTwitter(現:Twitter)公式アカウントが投稿した他ならぬオジー本人の逝去を伝えるツイートを布団の中で目にした時、最初はその文章が意味するところをまったく理解することが出来なかった。

 

とにかく驚いた。こんなことがあるのかと驚愕した。

それに少し遅れてやって来たのは、悲しみとも少し違う微妙な感情。

これまでに経験したことのないその感情は、悲しみや驚き、感動などが入り混じった複雑なもので、「もしかしたら人間は奇跡を目の当たりにした時、このような感情を抱くのかもしれない」と思った。

まあ、そんな考えに辿り着いたのはオジーの死から一夜明けてからなのだけれど。

 

わたくしがオジー死去の報にこんなにも驚いたのは、ほんの2週間前の7月5日、彼が出生地であるバーミンガムで人生最後のステージを終えたばかりだったからだ。

“人生最後の”というのは結果論ではなく、「Back to the Beginning」と題されたそのイベントは、ライヴアクトとしてのオジー・オズボーンのラスト公演だと大々的に宣伝されたものだった。

ジーおよびオリジナルBlack Sabbath最後のライヴという貴重性、そしてMetallicaやGuns N' Rosesをはじめとするラインナップの豪華さによって4万枚のチケットは瞬く間に完売し、有料配信の視聴者数は全世界580万人にも達したという。そして、その580万人中の1人がわたくしである。

 

この説明だけ読んで「ステージに立てるほど元気だった人が2週間後に亡くなったのか。それは驚くよね、わかるー」と早合点する人もいるかもしれないのが、最後のコンサートにおけるオジーはまったく元気ではなかった。

この説明だけ読んで、デーモン小暮閣下の「吾輩は元気でなくなってしまった、急に」タイプの元気のなさ(詳細は調べてください)だと早合点する人もいるかもしれないが、オジーの元気のなさはそのようなアクシデントに起因するものでもない。

ここ数年、ずっと体調に不安を抱えていたのだ、オジーは。

 

脊椎の手術、肺炎、パーキンソン病の悪化など数々の怪我や病に苦しめられていたオジーは、2018年以来となるツアー復帰を希望していたものの、ついに復帰を断念。2025年7月5日に「Back to the Beginning」を開催し、そこを生涯最後のステージにすることを決意したのである。

 

パーキンソン病の進行によって歩行に制限があるため、オジーはこの日のために特注された漆黒の玉座に座ったままステージに登場、歌唱もその状態でおこなうスタイルであった。

マイクスタンドを掴まないと姿勢を保つことも難しく、落ち着きなく不安そうな表情を浮かべるオジーを見た時は、このような状態の老人をステージに上げることが正しいのか―本人が強く希望しているとしても―という思いが頭をよぎったが、歌い始めたオジーの声がそんな懸念を一気に吹き飛ばしてくれた。

その声は、僕らが知っているオジー・オズボーンの声そのものだったのだ。

数年にわたって健康不安に苦しみ、歩行すらままならなくなった老人が再びステージに上がるためにどれほどの努力を要したのか、このステージに懸ける想いと過酷な日々の爪痕がオジーの声から滲み出ているように思え、歌い出し1秒で涙腺が緩んでしまったのはわたくしだけではないだろう。

 

ジーが引退を口にしたのは今回が初めてではない。

1991年作『No More Tears』に伴うツアーを「No More Tours」と名付け、40代前半という現在の基準では考えられない若さで引退を宣言、約5年後にそれをあっさり撤回した前科があるのだ。

しかし、今回ばかりは本当の本当に引退だった。ライヴの2週間後にオジーが息を引き取ったという事実を抜きにしても、あの日のオジーの様子を観た人間であれば、「Back to the Beginning」が実現できたのは本当にギリギリのタイミングであったことが理解できるはずである。

 

ジーが亡くなったと聞いた時、最後のステージに立つための努力が結果として彼の寿命を縮めることになったのかもしれないと感じた。

そのことを本人に問うことはもう叶わないけれど、きっとオジー本人は後悔などしていないだろうし、自分のソロキャリアとオリジナル編成のBlack Sabbathに自らの手で終止符を打つことは彼の人生の締めくくりに絶対に必要なパズルのピースだったのだ。

陳腐な表現になるかもしれないが、たった1日だけパフォーマーとしてのオジー・オズボーンを取り戻すための命を賭した戦いに勝利したのだと思うし、その勇気を讃えたい。

だからこそ我々は、オジーの死を嘆くのではなく、あの日、あの場所に現れてファンに別れを告げてくれたことを喜び、彼の人生を祝福するべきなのだ。

 

「Back to the Beginning」最大のハイライトは、Metallicaでもなく、Guns N' Rosesでもなく、オリジナルBlack Sabbathでもなく、間違いなくオジーのソロセットにおける“Mama, I'm Coming Home”だった。申し訳ないが、この件について異論は認めない。

この曲はオジーの引退作になるはずだった前述の『No More Tears』に収録の名バラードで、人生という過酷な旅路を終えてついに故郷へと戻る男の心境が歌われている。つまり、波乱万丈のキャリアを歩んだオジーの人生を反映した歌なのだ。

しかし、オジーがあっさりと引退宣言を撤回して復帰を果たしたため、“Mama, I'm Coming Home”はその意味合いを失い、“ただの名バラード”のポジションに追いやられてしまった。「ただの名バラードってなんだよ」とは訊かないで欲しい。

 

それを踏まえた上での今回の“Mama, I'm Coming Home”である。

間違いなく生涯最後の機会になるであろうステージに上がったオジーの歌は、完璧なまでに楽曲が本来持っていた意味を体現していた。

ジーの声は時にひび割れ、不安定になったが、それこそが人生の過酷さに打ちのめされた末、ようやく安息の地を得ることが出来る男の歌声なのだとすら感じた。

感動の次元が違う、とでも言うのだろうか。これまでに聴いたどの歌よりも圧倒的に心に響いた。歌の内容と演者の人生がここまでリンクした瞬間がこれまでにあったのだろうか。

お恥ずかしい話だけれど、いい歳のおっさんが配信ライヴを観ながら号泣していた事実をここに書き残しておきたい。完全に泣き乱していた。

これまでの人生でオジーの言動に笑わせてもらったのと同じ分だけ泣いた。死去の一報では涙が出なかったのに、不思議なものである。

当日の模様は映画『Back to the Beginning: Ozzy's Final Bow』として来年初頭に公開されるという話なのだが、えらいレベルで泣き乱してしまう可能性があり、映画館で観るのを躊躇している自分がいる。「声出しOK上映」みたいな感覚で「泣き乱しOK上映」の回を設けていただきたい。よろしくお願いします。

 

ジーの邸宅近隣に住む人の話によれば、彼が死去した日には医療用のヘリコプターが来ていたらしい。おそらく救命が試みられたのであろう。

この事実からは、ご家族や医療者にとって予期せぬ死だったことが窺える。もしかしたら一番驚いているのはオジー本人なのかもしれない。

ライヴ活動から身を引いたとはいえ、あの声を保っているのであればスタジオアルバムをもう1枚か2枚出すことも可能だったはずだ。

 

それにしてもオジー・オズボーンがこんな“立派な死に方”をするとは誰が予想しただろうか。

万難を乗り越えて最後のステージに立ち、自分の姿と声をもってファンに別れを告げ、愛する仲間たちが一堂に会する機会を作り、日本円にして280億円もの寄付金を集めた後に愛する家族に見守られながら旅立ったのだ。

 

失礼を承知で言わせてもらえば、もっとトホホな死に方をする人だったはずなのだ、オジーは。

あの破天荒な生き方にふさわしい、ファンを「そりゃないぜ、オジー! あんたらしいけどさあ」と泣き笑いさせるような死に方、そんなクレイジー・トレインに乗ってしまった人生だったはずだ。

 

2003年、広大な敷地を持つ自宅の庭で四輪バギーを乗り回していたオジーは、何かしらの障害物に激突して全身の骨をバキバキに折る大怪我を負い、一時は人工呼吸器を装着するほど重篤な状態となった。

そう、こういうやつである。50歳を超えた大人が自宅の庭でバギーで事故って全身バキバキ、生死の境を彷徨う、ちょっと間抜けな感じすら漂う最期を迎えてしまうようなキャラの人だったのだ、オジーは。

 

しかし、現実は小説よりも奇なり。

ジーの人生を1000回やり直しても辿りつかないようなトゥルー・エンディングを迎えてしまった。迎えてしまった、は失礼か。

それまでのハチャメチャぶりを最後の1円まできっちり精算したかのような去り際。

悪魔として生き、聖人として死んだ男。

涙が出なかったのは、そのあまりにも美しすぎる最期のせいだったのかもしれない。

 

またどこかでオジーに会えた人はみんな口を揃えて訊くだろう。

「オジー、どうしてあなたの最後はあんなにも美しかったのですか? あなたはすべてがわかっていたのですか?」と。

ジーは少し困ったような、そして少し面白がっているような顔で答えてるだろう。

「Don't ask me, I don' know.」