ゆくガンズくるガンズ - 2007年日本ツアーの思い出

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書き出しのアイデアがどうしても浮かばず、縦書きにするというコペルニクス的転回で対応してみました。かしこい。

読点の位置が変になってしまったので今後はもうやりません。

 

ていうか、アレですね。

ついに発売になりましたね。

なにが。

Guns N' Rosesのチケットが。

 

みなさん買えましたか。

わたくしは買えました。

なにを。

Guns N' Rosesのチケットを。

 

いやー。めちゃくちゃ緊張しました。

初日に売り切れるわけがないとは頭では理解しているものの、今後の人生を左右する大イベントくらいのテンションで臨んでしまったのはわたくしだけではないでしょう。

Twitterにも書きましたが、わたくしのガンズ仲間のひとりはパソコンでの購入動作を少しでもスムーズにしたい一心でマウスを新調。

完全にeスポーツの選手なのよ、メンタルが。こわい。

 

万が一にも買いそびれてはいけないと思い、発売時刻の5分前にアラームをかけていたのだけれど、発売5分前なんて緊張の極致だからそのアラームの音に驚愕して心臓がおかしくなりましたよ。

危うくイープラスの画面を開いたまま召されるところでした。

心臓に優しいアラーム音の開発が待たれる。歌手の中森明菜さんの喋り声みたいな感じの。

 

 

えー。そろそろ本題に移りましょう。

前回からガンズ来日公演の思い出を語っております当ブログ。

わたくしが初めてガンズを観た2002年のSUMMER SONICについて思い出すがままに書き殴らせていただきました。

今回はその第2弾、2007年の日本ツアーの思い出を語っていきたいと思います。

例によって資料などは確認いたしませんので、記憶違いなどがあってもご容赦くださいませ。

 

 

 

【2007年】

人生で初めてガンズを観たSUMMER SONICから約5年。

2007年4月にガンズの再来日が決定した日のことは、どういうわけかまったく記憶にございません。

その当時はSNSといえばmixiくらいしか存在しておらず、いわゆる“ネット上の知り合い”と喜び合ったという記憶も皆無。

たぶんめちゃくちゃ喜んだとは思うのだけれど、なんせ15年前の話なので記憶に残っておりません。

 

1993年以来の単独公演となる日本ツアーは東名阪を回る全5公演。

チケットはもちろんのこと、ホテルと新幹線も確保して全通する構えは万全でした。

しかし、すんなりと物事が運ばないのが当時のガンズ。

日本ツアー開幕の数日前(2日前とかだったかもしれない…)、ガンズ来日中止の噂が…。

 

不穏な噂の真偽を確かめるべく、招聘元のCreativemanのテレホンサービス(最新の公演情報などが聞けるのだと思う)みたいなところに電話したのをよく覚えてる。

そのときは物凄く歯切れの悪い口調で「ステージ設備の都合上」と説明されていて、ちょっと納得いかない感じがすごかった。

ただ、「あ。ガンズが来ないのはホントなんだな」とめちゃくちゃ悲しかったナー。

直前のキャンセルにも関わらずホテルのキャンセル料を支払った記憶が無いので、たぶん「こいつから徴収するのは忍びねえな」と同情させてしまうくらい意気消沈した声で連絡を入れたんだと思う。

 

バンド側からの公式発表によれば、来日中止の理由はベーシストのトミー・スティンソンが手を負傷したことによるもの。

それを聞いたとき、「ステージ設備の都合上はどこ行ったんだよ!」と思ったよね。

まあ、唯一の救いは「中止ではなく延期。バンドは7月以降に振替公演を希望している」というニュースを聞けたこと。

 

その説明通り、ガンズは7月に振り替えとなる日本ツアーを敢行。

大阪公演は2公演から1公演に縮小されたものの、追加公演となる日本武道館を含む全5公演をきっちり完走してくれました。

幕張、幕張、名古屋、武道館、大阪という流れだったのだけれど、名古屋から東京に戻って来て、そこから大阪へ移動するのがつらかったナー。

名古屋公演の翌日が武道館だったので、ゆっくり観光する時間がなかったのも悲しい。

 

 

日本ツアー初日は7月14日の幕張メッセ公演。

この日は台風直撃で、それはもうとんでもない暴風雨でございました。

幕張まで車で向かったのだけれど、ワイパーを全開にしても前がほとんど見えないくらいの雨。わたくしの人生はレインボーブリッジで終わるのかもしれないと本気で思った。

 

この日は整理番号がイマイチだったのだけれど、アリーナ前方のそれなりにいいポジションを確保してアクセルの登場待機。

いやー。アクセル待ちがとにかく長かった。

コロナ禍のライヴを考えると、あんな人口密度のなかで何時間もよく待てたもんだナーと感心いたします。

 

待ちに待った末、場内暗転。後方から押し寄せる人の波。悲鳴。

ふと気が付けば、ずっと待っていたアクセルではなく、目の前で“Welocome To The Jungle”のイントロを弾いているロビン・フィンクの名前を絶叫していた。

自分でもなんであんなに「ロビン! ロビン!」って叫んでいたのかわからないし、周囲の目には熱狂的なロビンファンに映っていたであろう。

今にして思えば、ロビンはガンズメンバーとしてはこれが最後の来日。思いきり叫んでおいてよかったのかもしれない。

 

ギターソロタイムでは“君が代”やX JAPANの“ENDLESS RAIN”などご当地ソングも披露され、「わー!こういうのも演ってくれるのか!」と感激。

出す出す詐欺を繰り返していたアルバム『Chinese Democracy』からも数曲が演奏されたけれど、リーク音源まで追っていないお客さんの反応はイマイチだったなー。

盛り上がるごく一部のファンの様子を見て、アクセルが「この国にもDownload-Motherfuckersがいるようだな」とか言って笑っておりましたね。

 

最大のサプライズは最後の最後にやってきました。

ガンズライヴ不動のラスト曲“Paradise City”が終わり、場内は完全に大団円の空気。

客電も点いて、観客が出口に向かい始めたとき、ギタリストのロン・サールが再び登場したではありませんか。

まさかのダブルアンコールに客席は騒然。

これまでガンズのライヴでこのような演出がおこなわれた話は聞いたことがなく、わたくしの頭の中にも「???」が渦巻いておりました。

 

ロンが弾き始めたのは名バラード“Don't Cry”。

ガンズとしては1993年のツアーを最後に長らく演奏していなかった楽曲で、2006年あたりからロンが自身のソロタイムでインストバージョンを披露するようになっていました。

いや、嬉しいけど、これをやるためにわざわざ戻ってきたん…?

 

若干の蛇足感を覚えつつも、初めて生で聴く“Don't Cry”のイントロに酔いしれていると…

アクセル登場! そして歌い出した!

えっ。なにこの大サービス。14年ぶりの“Don't Cry”復活の生き証人になってるの、わたくし。

“Paradise City”終わりで帰っちゃった人がいたら気の毒すぎる。

 

終演後は海外のガンズサイトも大騒ぎ。

「日本だけいつも優遇されていてずるい!」という声も結構多かった。(東京ドームの公式ライヴビデオ、『Live Era』のボーナストラックなどのことだと思われる)

ていうか、“Don't Cry”がレア曲…いや、封印されていた時期があるなんて今から考えるとすごく不思議だナー。

ちなみに次の日からは普通にセットリスト入りしておりました。

たぶん、アクセルはずっと“Don't Cry”歌いたかったんだと思う。良い曲よな。

 

ライヴが終わった後、幕張メッセの2階通路からアクセルが顔を出してくれたのは初日だったっけな。

「あ。めちゃくちゃ機嫌ええやないの」と嬉しくなったのをよく覚えてる。

“Mr.Brownstone”で死ぬほど盛り上がってる観客を観て「What a crowd!!(なんちゅーやつらやねん!)」って言ってくれたのも初日だったかな。

よい手ごたえがあったんでしょう、きっと。

 

 

台風が去った翌15日の公演は、整理番号がよかったので念願の最前列。

ガンズを最前列で観られるなんて想像もしていなかったので、最前の柵を掴んだときは幸せすぎて死ぬかと思った。

まあ、2017年のツアーでは金の力で その後も何度か最前列をゲットする幸運に恵まれたけれど、嬉しさで言えばこの日がダントツかもしれん。

 

で、この日もとにかくアクセル待ち。

日曜日の公演ということもあって開演時刻が前日よりも早く設定されていたのだけれど、アクセルが登場したのは前日と同じ時間だった。

つまり、開演時刻が早まった分だけ長く待たされたことになりますね…。

 

あまりにもバンドが出てこないので、途中でクリマンの社員さんがステージに登場して状況説明してたもんなー。あれは気の毒だった。

そして、それ以上に気の毒だったのがオープニングアクトに抜擢されたMUCC

2007年の日本ツアーを語るうえでMUCCの存在を避けて通るわけにはいかないでしょう。

 

 

MUCCと書いてムックと読むMUCCですよ。ムックね。

今やキャリア20年以上を誇る大御所V系バンドでございます。

ウィキペイディアンによると1997年結成とのことなので、2007年時点でちょうど10年選手の仲間入りを果たしたことになります。

ポジションとしては中堅どころと言ったところでしょうか。

 

まあ、オープニングアクトの出演が発表された時点では、「前座はいらない」という意見がわりと多かったように記憶しております。

わたくしも不要派のひとりで、それはMUCCがどうこうと言うわけではなく、ガンズファンとして「1秒でも早くガンズが観たい」という思いによるもの。

正直なところ、どの日本のバンドを起用したところで反対意見は出ただろうし、セバスチャン・バックでも連れてこない限りは肯定派が多数になることはなかった気もいたします。

 

 

わたくしの記憶によれば、初日は特に問題無くオープニングアクトを務めあげたんですよ。

別にウケていたわけではないけれど、ブーイングや野次などが飛んだ記憶はない。

問題は2日目。

 

この日はどういうわけか血の気の多いお客さんが多かったようで、「ガチャピーン!」という明らかに小馬鹿にした野次はまだマシな方で、ここではちょっと書きたくないような罵声が飛び交う事態に。

しかも、MUCCにとって不運だったのは、この日は前日にさらに輪をかけてアクセル待ちタイムが長くなることが見込まれていたようで、セットを急遽延長しなくてはならなくなったこと。

 

おそらく延長が打診されたのは彼らの出番の最中だったと思われ、メンバー全員がステージ上で緊急ミーティングをおこなうという見慣れない光景が。

出演時間を延長することが決定し、ヴォーカルの逹瑯が「BGM代わりにもう少しお付き合いくださいっ!」と言ったときに場内を埋め尽くした「えー!」という悲鳴、そして罵声。あれは忘れられないし、心底気の毒だと思った。

「親御さんが晴れ舞台を観に来てたらどうすんだよ!」って心配になったよね。

 

好きなバンドにあんなリアクションされたらMUCCファンも悲しいだろうし、ガンズのことも嫌いになるよね、絶対。

わたくしも「あ。ガンズファンにこんな心が狭い連中がいるのか…」と悲しくなったんだ村です。

そんなMUCCファンのお姉さんたち(ムッカーとお呼びするんですか?)は全5公演、どこの会場でも最前列で首がもげそうな勢いで頭を振っていて、それを見ながら「MUCCとムッカーのお姉さん(の首)がんばれー!」と心のなかで応援しておりました。

 

ちなみにこのときに演奏されていた“悲しい話”という楽曲が非常に気に入りまして、同曲が収録されている『フライト』のシングル盤を買ったのがわたくしです。

あんな名曲がカップリング曲だなんて! 全盛期のオアシスか!

 

あまりにも壮絶な体験をしたMUCC

後年、「バンドの歴史で一番の試練がガンズの前座だった」みたいなことを語ってるインタビューを読んで、「あのときは申し訳ございませんでした!」ってなりましたよ。

でもね、『Chinese Democracy』のサンクスリストにバンド名が載っているのは本当に勲章だと思う。その節は本当にありがとうございました。

 

思った以上にMUCCの話が長くなってしまいました。

まあ、念願の最前列を含む幕張2公演が大満足のうちに終了。

ここからは人生初のおっかけ旅に突入するわけです。

 

 

名古屋公演は日本ツアーで唯一の座席指定。

最前列ではなかったものの、わりと前方の席だったと記憶しております。

駅から会場に向かう途中、ものすごい土砂降りだったのも覚えてるナー。

 

この日最大のサプライズは開演前…いや、それどころか会場入り前にやってきました。

雨のなか会場まで歩いていると、前方にVelvet Revolverティーシャーツを着ている男性を発見。

わたくしは思わず身震いいたしました。

 

当時、ロック界随一の犬猿の仲だったアクセルとスラッシュ。

嘘か誠か、“スラッシュのティーシャーツを着たファンがガンズのライヴで入場を拒否された”などという噂が飛び交っておりました。

アクセルがそれを目にしたらライヴを放棄する可能性がある、というのがその理由だったかと思います。

Velvet Revolver…いや、ヴェルヴェット・リヴォルヴァー(片仮名で書きたいバンド名第一位)はスラッシュとダフ・マッケイガンの元ガンズ組が結成したスーバーヴァンド。

 

前述の理屈に当てはめれば、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーティーシャーツがアクセルの目に触れるのは非常にヤヴァイことだと言えるでしょう。

そんな危険なティーシャーツを着た男性はガンズのライヴ会場に入ることができるのか?

噂の真偽を確かめるべく、男性の尾行を開始しました。

 

大雨のなか、すこしずつ会場へと近付いていく男性(とわたくし)。

もしも注意されるとしたら、チケットを提示するタイミングなのかナー。

などと考えていたとき、会場入口よりも数十メートル手前の時点で会場スタッフが小走りに男性のもとへ駆け寄ってくるではありませんか。

会話の内容はあまり聞き取れなかったものの、男性がうわずったような声で「着替えます! 着替えます!」と連呼しているのが確認できました。

 

 

 

【結論】

噂はガチ

 

 

 

いやー。非常によいものを見させていただきました。

あの男性は物販でガンズティーシャーツを買って入場したのでしょうか…。

ていうか、アクセルへの気の遣い方が半端じゃない。

この時期はまだ“キレどころがわからない暴君”ってイメージだもんナー。

関係者のみなさまの気苦労を想像すると泣けてくるわ。

 

演奏内容やセトリに特筆すべきことはなかった名古屋でしたが、“Out Ta Get Me”

の演奏中にとなりの席のお兄さんが「新曲…?」と呟いていたのはよく覚えております。

そんなに影の薄い曲かね、これ…。

 

 

名古屋で1泊し、翌朝の新幹線に飛び乗って東京へ。

日本ツアー4公演目の地は、追加公演として発表された日本武道館でございます。

ガンズとしては1988年の初来日以来の日本武道館。初来日(わたくしは観ておりませんが)のときも追加公演だったんですよね、武道館は。

 

幸運なことに武道館でも最前列をゲット。人生2度目のガンズ最前。

この日はゲストの出演が予告されていて、ファンは「イジーに違いない」「いや、無難にセバスチャン・バックあたりだろう」と予想合戦を繰り広げておりました。

 

ライヴが終盤に差し掛かったこと、ついにその瞬間がやってきました。

アクセルに呼び込まれてステージに登場したのは……

 

 

 

すみません。どなたですか…?

 

 

 

アコースティックギターを抱えた眼鏡の男性の正体は、アクセルが気に入って観ていたというカナダのTVドラマ『トレイラーパークボーイズ』の登場人物・バブルス。

まあ、日本ではまったく無名すぎてお世辞の「わー!」もなかったよね…。

“Liquor & Whores”という楽曲を披露してくれたのだけれど、「アクセルが楽しそうだからいいか…」という感想しか出てこなかった。

バブルス氏もよく日本まで1曲だけのために来たよね、よく考えたら。

 

そういえばこの日はカメラが複数台入って撮影をしていたと記憶しております。

それがどこかで使われたという記憶もないので完全にお蔵入りなんだろうナー。

余談だけれど、ドラマーのフランク・フェラーは武道館にちなんでCheap Trickのバン・E・カルロスのコスプレで演奏しておりましたね。

もしも同公演のDVDが発売されることがあれば(ないと思うけど)フランクの衣装にもご注目を。

 

 

ツアー最終日は大阪公演。インテックス大阪陸の孤島でした。

チケットの売れ行きの関係だったのか、大阪は2公演から1公演へ縮小されてしまって気の毒だったナー。

この時期のガンズは曲間にジャムセッションを繰り広げることが多かったのだけれど、この大阪公演でのジャムは「もしかしたら新曲なのではないか」と海外ファンが推測するほど完成度が高い演奏を聴かせております。

興味のある方は西新宿のブー 「どんな演奏だったのかなあ」と想像してみてください。

 

2007年日本ツアーで唯一“Rocket Queen”が聴けたのが大阪公演。

今の基準で考えると、“Rocket Queen”もレア曲枠だったのは本当に不思議な感じがいたします。

めちゃくちゃ踊れるガンズ曲といえば“Rocket Queen”。これからもセトリの定番として演奏し続けていただきたい村です。

 

いやー。大阪はライヴもさることながら観光が楽しすぎたことの方が印象に残っておりますよ、あたしゃ。

たこ焼きをせんべいで挟んだ“たこせん”の美味しさを初めて知ったのもこのとき。

巷では“ヤク1000”なる商品が大人気ですが、わたくしの心のなかでは“たこせん”の圧勝です。

たこせんレディに毎日配達に来て欲しいくらいです。よろしくお願いします。

 

 

ていうか、ガンズの思い出を語るの、めちゃ長くなりすぎる傾向にありませんか、わたくし。うざくね?

次回は2009年のお話をいたしましょう。

2公演だけなのでそれほど長い話にはならないはず、たぶん。ねえ。