ゆくガンズくるガンズ - 2002年SUMMER SONICの思い出

ふと気が付けば僕です。

みなさん、酷暑をエンジョイされてますか。

タレントの所ジョージさんのようにならぬよう、しっかりと水分補給をしてまいりましょう。

 

というわけでサ、来ますね。

なにが。

ガンズ・アンド・ローゼズが。

 

6月24日正午、まさかの来日発表にファンは狂喜乱舞。

2017年以来、実に5年10ヶ月ぶりに日本の地を踏むことになるわけです。

なにが。

ガンズ・アンド・ローゼズが。

 

これで9回目の来日になるんですかね。

なにが。

ガンズ・アンド・ローゼズが。

 

このしつこさにうんざりして読み始めた方の約8割がすでに離脱しているのではないかと推測しております。

まあ、もちろんわたくしも行くつもりでおります。

なにに。

ガンズ・アンド・ローゼズに。

 

後追いファンのわたくしですが、幸運なことに何度かガンズのライヴに足を運ぶことができております。

回数で言えば全部で14公演でしょうか。

この機に来日ごとの思い出をランダムに垂れ流していこうかナーと思います。

いわゆるライヴレポではないのでご容赦くださいませ。

 

 

【2002年】

わたくしがガンズファンになったのはアクセル隠遁期。

スラッシュが抜けダフが抜け、バンドとして存在しているのかどうかも怪しかった時期でございます。

 

2001年に復活ライヴを決行したものの、制作中と噂されるアルバム(『Chinese Democracy』)は出る気配もなく、ファンとしてはRock In Rio 3のブートビデオを繰り返し観るだけの日々が続いておりました。

そんななか、突如として発表されたのがSUMMER SONIC 02のヘッドライナー決定の報。

 

死ぬほど驚愕いたしました。そして狂喜いたしました。

レッチリに断られてからのガンズだった、という事実を知ったのは後年の話。

断ってくれてありがとう、レッチリ

 

いやー。あの日はめちゃくちゃ暑かったよね。

マリンスタジアムのスタンドで太陽に炙られながら出演バンドを観ていた記憶がございます。

The Hivesはかっこよかったなー。彼らは本当はインドアステージだったのだけれど、アクセルがHanoi Rocksをインドアに追いやったおかげでアウトドアステージになったんだよね。ありがとう、アクセル!

ちなみに友人のくりこさん(すごい人)が暴れすぎて前歯を欠けさせたのはMurder Dollsの演奏中だったでしょうか。

 

ガンズとは関係無いけどアンドリューW.K.も凄かったナー。

あんなに元気にステージ上を躍動する人はなかなかお目にかかれないよ。彼の心のなかにはテツandトモが棲んでると思う、絶対。

ライヴが終わったあと、司会の人に呼び出されて「アンドリューダンスやってよ!」って無茶ぶりされてて気の毒だったな。

サマソニにはかなりの回数通っているけど、出番が終わって連れ戻された人、いまだにアンドリュー以外見たことないよ。

 

準ヘッドライナーのWeezerが終わったタイミングでグラウンドへ移動したのだけれど(このときはまだスタンドからグラウンドへ直接降りることができた)、そこからの待ち時間が伝説級に長かった。

バケットヘッドがホテルにヌンチャクを忘れてきたのが原因だったそうだけど、あの場にいた誰もがアクセルのせいだと思っていたよね。

 

正直な話、「あ。このまま出てこないパターンもあるな」と覚悟したし、「これがアクセル待ちタイムかー!」と少し感動していたし、色々な感情が渦巻いておりましたよ、マイハートのなかで。

 

もうダメだろうナーと思ったとき、突如として鳴り響いた“Welcome To The Jungle”のイントロ。

いやー。叫んだ。人生であんなに興奮したことはないってくらい興奮した。

気が付いたらもうステージに向かって駆けだしておりましたよ。

チョロQみたいな勢いで走ってた。

 

具体的な演奏内容については触れないけれど、「アクセル・ローズって実在するんだ!」というのが一番の感想。

それまで音源や映像でしか触れることができなかったアクセルが同じ空間で歌い踊っているんですよ、あなた。

“感動”という言葉以上の何かがわたくしの心のなかで情熱のサンバを踊っておりました。

 

2秒ぐらい流れて止まってしまった“Oh My God”のイントロ。ドラムのブレインがこの世の終わりみたいな顔でフリーズしていたけれど、そこに駆け寄って行って「次の曲だ!」みたいな指示を飛ばしたのがベースのトミー・スティンソン。

Rock In Rio 3で“You Could Be Mine”の演奏をバンドが見失ったとき、ブレインに次のパートへ展開するよう指示したのもトミーだった。あれを見て「あ。トミーがバンマスなんだナー」と思ったんだ村です。

 

あとはファン的に美味しかったのは“Riad N' The Bedouins”が聴けたこと。

2009年の東京ドームでは『Chinese Democracy』から13曲が演奏されたのだけれど、唯一披露されなかったのがこの曲だった。

サマソニで聴いていたことで、わたくしは晴れて“チャイデモを全曲ライヴで聴けた人生”になったわけです。ありがとう、サマソニ

 

“November Rain”の演奏中、抱き合いながらうっとりと踊る外国人カップル。

まったく着火しない100円ライターを必死に擦りながらデタラメ英語で“Knockin' On Heaven's Dorr”を大合唱する外国人のお兄さん。

当時まだ“The Blues”という仮タイトルだった“Street Of Dreams”の最後のパートを見事に歌い上げてみせるアクセル。

 

もう20年も前のライヴなのに、数々のエピソードがまるで昨日のことのように脳裏に蘇ってくる鮮烈な一夜でした。

「9年間も来れなくてごめん。次はもっと早く来れるようにするからね」と言っていたアクセル。

以後、本当にその約束を守り続けてくれているのがすごい。えらい。

 

そして、この日のクライマックスは終演後にやってまいりました。

強烈すぎる開演遅延のせいで、帰りの電車は正真正銘の終電ギリギリに。

駅員さんも必死で「切符は買わなくていいよー! 降りた駅で説明してー!」って絶叫してた。

さらに幸運なことにこの日は多摩川の花火大会が開催されていた関係で電車のダイヤが変更になっており、わたくしはなんとか自宅へたどり着くことができました。

サマソニ2002の陰のMVPはあの駅員さんですよ。

あんなに立派な駅員さんなので、今頃はJR東日本の社長になっているはずだと思った。

 

いやー。2002年から2017年まで来日公演の思い出をサクサク書いていくはずだったのに、意外とボリュームが出てしまった。

これは来日公演ごとにわけた方がよさそうなので、今回は2002年の思い出を語る記事にいたしましょう。

次は2007年日本ツアーの思い出でお会いいたしましょう。