セックス、ドラッグ、入院、手術、ロックンロール(5)

古畑任三郎』っていうドラマがあったじゃないですか。俳優の田村正和さんが主役を務めていた推理物の。

連続ドラマをほとんど観ないわたくしですが、この作品は大好きで毎週楽しみにしておりました。

こういう言い方をすると自慢になってしまって嫌なのだけれど、わたくしは物語のかなり序盤でもう犯人がわかってしまうんですよ。それもほぼ毎回。

テレビの前で腕組みしながら「実質的にはもう俺が古畑任三郎なんじゃねーの?」って思って観てた、毎週。

 

あ。申し遅れました。僕です。

長々と、そしてダラダラと続いたわたくしの入院生活日記ですが、さすがに今回で最終回となります。

いやー。前回からめちゃくちゃ期間が空いてしまいましたね。前回までは退院した勢いだけで書き殴っておりましたが、さすがに尻つぼみになってまいりました。

当然ながら回を重ねるごとにアクセス数は右肩下がり。もう誰も読まない過疎ブログへと逆戻りしております。

最後の悪あがきとして過去4回分の記事を貼っておきますので、改めて初回から読み直したい方は(1)からご再読ください。

よろしく哀愁です。

 

下顎骨骨折で入院・手術という憂き目に遭ったわたくしの入院生活日記。

前回は入院生活12日目、食事形態がミキサー食に上がったところまでお話しいたしました。

医師からは「ひと口大の食事が食べられるようになったら退院」と説明されている状況で、退院するためにはとにかく食べ進めるしかありません。

では、入院13日目から退院日までの様子をお送りいたしましょう。

 

 

  • 2024年5月25日(土)

 

土日は病院自体がお休みのため、朝の外来診察は無し。

食事の時間以外は上下の歯を輪ゴムで固定する顎間固定で噛み合わせの治療をしつつ、3度の食事をひたすらに食べるだけの2日間となります。

 

普通にあーんと大口を開けるのはそれほど痛くないのだけれど、食べ物を受け入れようとして開けるときは少し痛いのは意外だった。

中途半端な位置でキープすると痛みが出るのか、迎え入れようとする動きで痛みを生じるのかは退院した現在もよくわかっていない。

歯に取り付けられた金具が唇の内側にザクザクと刺さるのも相変わらずだし、食べること自体が少し億劫になってしまう。

 

食事以外の時間は特にやることもないので、持参したパソコンで音楽を聴きながら仕事をするか、本を読むかの二択。

ちなみに自宅から持って来た本は

 

・『死をポケットに入れて』チャールズ・ブコウスキー

・『冬の日誌/内面からの報告書』ポール・オースター

 

の2冊。

入院中はパソコンで仕事をしていたせいで疲れ目が酷く、あまり積極的に本を読む気にはなれなかったのだけれど、ブコウスキーの作品には随分と助けられた感じがいたします。

無料でKindleにダウンロードした『江戸川乱歩全集』もちょこちょこ読んだ。乱歩は「いやいや、そうはならんだろ」という話を「そうなったんです! 作者の私が言うんだから間違いない!」と強引に進めていくスタイルが好き。

 

  • 2024年5月26日(日)

 

朝食を終え、いつものようにベッド上でパソコンに向かっていると、手の甲がなにやら赤らんでいることに気付く。

いや、よく見ると手の甲だけじゃなくて両方の前腕に蕁麻疹のようなものが生じているではありませんか。

自分が知る範囲では食物アレルギーもないし、朝食で変わったメニューが出された記憶もないのだけれど、明らかな体調の変化なので速やかに看護師さんに報告いたしました。

看護師さんの手間を省くため、症状が出たタイミング、アレルギーの有無、赤みが出ている部位、喉の違和感や呼吸困難の有無など質問されそうなことを率先して伝えたのだけれど、よくよく考えたらめちゃくちゃウザい患者だナーと反省しております。

 

とりあえず緊急性はなさそうなので様子を見ることに。

その日は何かあったらすぐに看護師さんを呼べるようにナースコールを膝の上に置いて仕事をしておりました。アナフィラキシー怖いからね。

幸いなことに症状が悪化することはありませんでしたが、前腕の赤みは夜になっても改善せず。半袖で露出している部分なので、どうしても視界に入ってしまうから気になりますね。

 

蕁麻疹で気持ちが落ち気味になっていたところに、家から持参したボディーソープを使い切ってしまったことに気付き、その悲しみの連鎖に戦慄するわたくし。

ボディソープ自体は病院内のコンビニで調達することは可能なのだけれど、問題なのはその品揃えなのです。

ビ〇レU or 固形石鹸という究極の二択だったのであります。

 

みなさんは「そんなんビ〇レUの一択やん」と思われるかもしれないが、わたくしとビ〇レUには深い因縁があるのです。

わたくしは夜勤がある仕事をしておりまして、夜勤のある日は朝8時半から翌日13時までというめちゃくちゃな勤務体系でした。

まとまった仮眠を取れることも少なく、ノー睡眠でぶっ続けということもザラも珍しくなかったので、わたくしの寿命は間違いなくこの時期に相当削られたと思う。

 

さすがに職場で夜を明かした朝にはシャワーのひとつでも浴びたいじゃないですか。

まあ、幸いなことに職場にシャワー室があったんですけど、そこに置いてあるボディソープがビ〇レUだったんですよ。

まあ、普通に使うじゃないですか。有名な商品だし、なによりも一晩中ぶっ続けで仕事して大いに身体が汚れておるわけですから。

 

人間の脳みそというのは不思議なもので、夜勤のたびにビ〇レUで身体を洗っていると「ビ〇レUの匂い=夜勤明け」と認識してしまうわけです。

夜勤明けというのは大抵めちゃくちゃ疲れているわけじゃないですか。

だもんで、ビ〇レUの匂いを嗅いだだけで脳みそが「あ! 夜勤明けだ!」と認識し、めちゃくちゃ疲れを自覚していまうという症状が出始めてしまったのです。夜勤明けじゃない日でも。悲しき職業病やね。パブロフの犬やね。

 

その事実に気付いて以降、わたくしはビ〇レUを徹底的に遠ざける人生を送っておりました。

が、まさかのこのタイミングでビ〇レUと固形石鹸の二択を迫られることになるとは…。

もしも神様が実在したら俺にこんな試練与えんやろ、と真剣に思いました。神はいない。

 

まあ、買いましたよ。

ビ〇レUを。

旅行用のそんなに大きくないサイズのやつを。

 

入院中に固形石鹸を清潔に管理する自信もなかったので、因縁深いビ〇レUに緊急登板していただきました。

結論から言えば、匂いを嗅いだ瞬間に夜勤明けの身体になりました、完全に。

もう夜勤なんて何年もやっていないのに、寸分違わぬ夜勤明け特有のだるさに苛まれながら「人間の身体って本当にすごいな。ビ〇レUでこれなんだから、覚醒剤なんて何年経っても足を洗ったなんて言えねえな」と思った次第です。(わたくしは覚醒剤をやったことはありません)

 

  • 2024年5月27日(月)

 

土日を挟んで2日ぶりの診察。

この日の昼から食事形態がひと口大にアップ。問題無さそうなら水曜日か木曜日に退院でOKとのこと。

入院2週間目にしてようやく退院の目途が立ちました。うれしい。

昨日発症した蕁麻疹は今日も改善せず。かなしい。

 

さらに開口訓練もスタート。

簡単に言えば顎のリハビリみたいなもので、骨折や術後の固定の影響で開きづらくなった顎関節の可動域を広げていく練習です。

人によってはリハビリ開始時点で指1本分も開かないケースもあるらしく、そんな状態ではまともに食事を摂れるわけもないので、術後のリハビリは超重要。

医師からも「これはめちゃくちゃ頑張ってください」と念を押されるほどだった。

 

リハビリと言っても自分で口をパクパクするわけではありません。腹話術の人形じゃないですからね。

ではどうやるのかと言えば、開口器という専用の器具を使って強引に口を開かせていくわけです。

開口器は大きな洗濯ばさみのような形をしておりましてね。その先端を口の中に差し込んで、洗濯ばさみを開くときの要領で反対側をグイッと握る。

そうしたら当然、口の中に差し入れた側が上下に広がっていくので、その力で口がこじ開けられるという仕組みです。

 

(開口器。木材と輪ゴムだけのシンプルな造り)

 

まあ、これがなかなか過酷な作業でして、痛みの範囲内でやっていると可動域が広がっていかないんですよ。

「行こうぜ、痛みの向こうへ」くらいの勢いで握り込んで10秒キープ、これを毎食後に10セットは反復しなければなりません。

痛みの向こう側へ行くには根性だけではどうにもならない部分もあるので、「ま、これでも飲んで」と医師が処方してくれたロキソニンでドーピングしながらリハビリを進めていきます。

 

幸いなことにわたくしは術後から思ったよりも口が開いたので、七転八倒するような苦しみを味わうことはありませんでした。

普通は骨折した顎関節部分に血液が貯留し、口を開ける動きをする際に痛みの原因となるそうなのですが、わたくしは手術で麻酔が効いているうちに(つまり意識がないうちに)関節部分に針を刺して溜まった血液を抜いてもらっていたのです。

その効果はてきめんで、診察時に「うわっ。もうそんなに開くん?」と医師が驚くほど。

針を刺したところが術後に痛むということもなかったし、本当にやってもらってよかった。

 

自室に戻り、昼食後から早速リハビリを開始。

口を開く角度が大きくなるにつれて痛みも増すが、それに怯まずに限界のほんの少しだけ向こう側を攻める。

メンタルをブルース・ディッキンソンにして自分と闘うのである。(前回ブログ参照)

何度も繰り返していると顎関節よりも器具が当たる歯が痛くなってくる。折れそうでちょっと怖かったりするのだが、わたくしのやり方が悪いのだろうか。

それは誰にもわからない。

 

  • 2024年5月28日(火)

 

本日で手術から2週間。

朝の診察で5月30日の退院が決定し、主治医をはじめとする医療従事者のみなさまへの感謝と、こんな怪我をしてしまった自分自身の馬鹿さ加減への怒りが同時に去来いたしました。

もう二度と自業自得案件で入院するようなことがあってはいけないと固く誓った次第です。

 

昨日の診察時に「朝の診察には開口器も持って来てください」と言われていたので、「こんな感じでやっています」と実技を披露するのかと思いきや、開口器を手にした医師がわたくしの口にそれをグイッと突っ込み、顎も外れんばかりの勢いでこじ開けてくるではありませんか。

自分でやると痛みが強くなったあたりで「ここが限界か」とストップをかけてしまうのですが、その判断を他人に委ねるとホントにもう容赦ない。

顎の付け根がミシミシと悲鳴を上げる音が頭蓋内に響き渡るレベルでこじ開けられました。こんな音を聴いたのは親知らずを抜いたとき以来かもしれない。

 

「あ。このくらいの強度でやらないとダメなのね」とリハビリの過酷さを痛感させられました。そりゃ痛み止めが必須になりますわな。

逆に言えば、折れっぱなしの顎関節にここまで負荷をかけても問題は無いということ。強いんだか弱いんだかわかりませんな、人間の身体ってやつは。

 

一昨日からの蕁麻疹は本日も改善せず。

発症時に看護師さんに伝えておいたし、それ以降も担当看護師さんが変わるたびに様子を訊かれたので、主治医にも当然伝わっているはずだと思ったのだけれど、診察時に特に何も言われないので「ご存知かもしれませんが」と前置きをした上で直接報告してみることに。

 

経緯や現在の症状などを伝えたところ、「えー!そうなの!?」と完全に初耳のリアクション。

現時点で原因は特定できないものの、術後から続いている右顎周辺のしびれを改善するためのビタミンB12が原因かもしれないということで、今日の昼から内服を中止することになりました。

医師いわく、この薬を飲まなくても数週間から数ヶ月でしびれは完全に消失する見込みなので、まずは休薬して様子を見ましょうとのこと。

 

結論から言ってしまえば、この蕁麻疹が入院中に改善することはありませんでした。

退院後も横ばいだったので、家でアレルギーの薬を飲んだら普通に軽快したのでよしとします。

というわけで原因はいまだに不明のまま。

これから先、病院の問診票の「薬のアレルギーはありますか?」という質問にどう答えればいいのか悩みますね。「断言はできませんが~」などと曖昧な書き方をするしかないのだろうか。

 

まあ、原因不明の蕁麻疹を手土産に退院することになるのは不本意だけれど、入院中にはよいこともありました。

入院当初からわたくしを苦しめていた副鼻腔炎の症状が、いつの間にかぱたりと影を潜めているではありませんか。

怪我をする数日前から副鼻腔炎の治療を始めたばかりで、まったく想定外の入院をするような事態になってしまって「うわー。こっちの治療はしばらく中断かナー」と気に病んでいたところだったので、これは嬉しい驚き。

決して枯れない泉のようだった鼻水が出てなくなって心の底から解放感を覚えました。

 

これはわたくしの推測なのだけれど、手術後から数日にわたって入念に投与していただいた抗生剤の点滴が功を奏したのではないかと思う。

この抗生剤がわたくしの副鼻腔内でブイブイ言わせていた菌に猛攻撃を仕掛け、無慈悲なまでに殲滅したのではないかと思うわけです。

まあ、これはあくまでもわたくしの推測だし、実際にそうであっても単なる副産物に過ぎないのだけれど、長引く副鼻腔炎に苦しめられている人は何かしらの怪我をして外科的手術を受けてみるのも一案かもしれませんね。

 

  • 2024年5月29日(水)

 

今日も朝食後に歯科口腔外科外来で主治医の診察。

昨日言われた通り、明日退院でOKとのこと。

人生初の入院生活が今日も含めて残り2日となることが(ほぼ)確定いたしました。

 

受傷当日に近所の歯医者で縫ってもらった顎の傷の抜糸、歯を固定している針金を一本除去してこの日の診察は終了。

部屋に戻り、担当看護師から退院の手続きなどについて説明を受ける。

次の入院予約が入っているので、午前10時までには荷物をすべてまとめてベッドを明け渡さなければならないらしい。

明日の朝も診察があることを考えるとなかなかタイトなスケジュールなのだけれど、メンタルをサマソニック2日目の朝にしてやるしかない。

 

退院日にバタバタするのは嫌なので、最低限の着替えや洗面用具、パソコンやスマホ充電器など必需品だけを残し、それ以外はすべてカバンに収納。

他の患者さんから見たら「このおっさん、夜逃げでもするんか」と不審の念を抱くであろう勢いで身辺整理をしてやりました。

まあ、日に3度のご飯を食べて顎をゴム固定しているだけの身ですからね、こちらは。もっと積極的な医療を必要としている方にベッドを明け渡すことに異論があるわけがございません。

首から下は元気なので、さっさと退院してキックボクシングジム通いを再開するのみです。

 

  • 2024年5月30日(木)

 

いよいよ退院当日。

望んだものではないとはいえ、18日間にわたってお世話になった施設を離れるとなると、退院できる喜びとは別になんともいえない寂しさも感じるものです。

例えるならば、数週間にわたってプレイしてきたゲームが最終盤に差し掛かり、サブストーリーなどの要素もあらかた片づけてしまって、「ああ、もう今日でラスボスを倒すしかないか」と物語を終わらせる覚悟を決めた瞬間に胸をよぎるセンチメンタルな気持ちといったところでしょうか。

 

朝の診察時に生活上の注意点や完治までの見込み帰還などを質問。

特に注意点と呼べるようなものはなく、運動も普通におこなって大丈夫とのこと。

全体的な治療期間については、顎の固定を2~3ヶ月おこない、それが終わったら損傷した歯の治療に移行し、半年後にレントゲンを撮影して問題がなければ終了の見込みということでした。

つまり全治半年ということなのでしょうか。思ったよりも重傷で笑ってしまった。

 

朝の診察が終わり、荷物をまとめて病棟内のデイルームへ。

あとは入院費の計算が出来上がるのを待つのみです。

わたくしは転院など会計を急ぐ理由がないので会計入力は後回しだろうなと思っていたので、デイルームから見える風景をぼんやりと眺めながら入院生活最後のひとときを過ごしておりました。

 

入院費の計算も終わり、いよいよ会計窓口へ。

退院に先立って加入している健康保険者から限度額適用認定証を取り寄せていたので、入院費は高額療養費制度が反映された金額となっています。

普通に払って後から還付を受けることも出来るのだけれど、数ヶ月先の話になるし、限度額適用認定証を退院日(or 月またぎで入院する場合は月初まで)に取り寄せることができない理由がない限りは、絶対に手続きしておいた方がいいです。

高額療養費制度は本当に素晴らしい制度なので、これを廃止や改悪しようとする政治家のことは何ひとつ信用してはいけないと思っております。

この制度が崩壊したら、金銭的な事情で治療を断念する人、未収金が膨らんで資金繰りがおかしくなる医療機関がめちゃくちゃ増えますよ。現行制度を死守していただきたい。

 

むむ。話が脱線したので閑話休題

病院から自宅への向かうタクシーの車中、窓から見える風景がすべて新鮮で心が震えました。

「わっ! 人が道を歩いてる! 車が走っている! 牛丼屋が営業している!」などメンタルは完全に出所したばかりの服役囚。

入院中はテレビを見ることもなかったので、本当に外の世界と隔絶されていたのだなあと改めて痛感した次第です。

なんの変哲もない日常の風景ですら、ひとたび健康を失ってしまえばあっという間に手の届かない存在になってしまうのだね。一寸先は闇ですよ、本当に。

 

5月13日以来、実に19日ぶりの自宅に到着。

ようやく自宅に戻ってきた解放感に骨の髄まで浸りたいのは山々なのだけれど、ここで気を抜いてしまうと数時間にわたって無為な時を過ごしてしまいそうなので、血の涙を流しながら荷解きを始めることにいたしました。

わたくしがよくやりがちな「まずは必要な物だけ取り出して、残りは後回し」方式ではなく、持ち帰ったカバンの中に物品が何ひとつ残らないレベルまで徹底的にやる。最後にカバンも収納して入院生活の痕跡を完全に消すところまでやり遂げてやりましたよ。

 

返す刀で入院手術保険金の申請書類を作成し、速やかにポストへ投函。

その足で近所のスーパーへ出向き、顎を骨折したおっさんでも食べられそうな柔らかい食材を見繕って購入する。

とりあえずポテトサラダやヨーグルト、卯の花など「それはさすがに安全牌すぎるやろ」という超柔らかラインナップになってしまったけれど、初日から冒険するのもアレですからね。徐々に守備範囲を広げていけばよし。

 

ちなみに入院手術保険金は申請したらあっという間に振り込まれました。5営業日以内という説明に嘘偽りはありませんでした。

毎月引き落とされる保険料の額を見て「これって無駄銭じゃね?」と思ったこともありましたが、それは健康な日々を送っていたから言えたこと。

病院に支払った入院費を全額ペイできたのはもちろん、6月頭にやってきた車検代、その他諸々のありがたくない請求書の支払いをまかなうことができました。

 

わたくしは若くして保険に加入する同僚たちを「けっ。まだ若いんだから保険なんて入る意味ねーよ。完全に無駄銭やん」と小馬鹿にする人生を送っておりまして、30代に突入しても未加入ライフを貫いておりました。(もちろん健康保険には加入しております)

しかし、社会的に屑と呼ばれる方々が数多く出演することで知られるフジテレビ系の人気番組『ザ・ノンフィクション』を見ていたとき、その日の主役であるところの屑の人(服役が確定しているホスト)ですら保険に入っていることを知り、大きなショックを受けたのです。

あんな犯罪者に負けてはなるものかと即座に資料請求、契約と相成りました。

あのホストがいなかったらいまだに保険に加入していなかったかもしれない。ありがとう、ホストの人。

 

  • 2024年5月31日(金)以降

 

退院翌日以降の生活についてですが、基本的には首から下は元気です。

基本的には元気なのだけれど、やっぱり怪我をする前、手術を受ける前とは変わってしまったなと感じる部分もある。

ふいに立ちくらみがしたり、麻酔の挿管の影響なのかむせ込みやすくなったり、以前の自分の身体とは何かが決定的に変わってしまったような気がしています。

医療技術の進歩は多くの人の命を救っているけれど、やはり受けずに済むに越したことはないと実感している次第です。

 

侵襲的治療の影響を肌で感じる一方、今回の転び方を考えると顎の骨折くらいで済んだのは幸運だったと考えることもできる。

顎を打った拍子に首をやってしまって脊髄を損傷していた可能性もあるし、脳内出血や脳挫傷を起こしていた可能性だって十分にあったはず。

わたくしはスピリチュアルな人間ではないけれど、本当に最後のチャンスをもらったような気がいたしました。

もしも我々の想像を超越した何かしらの存在がこの世にいるとしたら、わたくしがもう一度同じような失態をやらかしたら次こそは見逃してくれないだろうなと思う。

アクションゲームで言ったら最後の1機という心意気で今後は生きてまいる所存です。

 

今回生まれて初めて入院・手術という経験をして思ったのが、治療というのは、落としてぐちゃぐちゃになってしまった毛糸玉をまた巻き直す作業のようだということ。

まずは絡まってしまった部分を丁寧にほどいて、出来るだけ以前と同じような形になるように巻き直す作業です。

それには時間がかかる場合もあるし、以前とまったく同じ形にはならないことだってある。

医師は技術と知識、そして経験によってその手伝いをしてくれるけれど、毛糸玉を巻く作業をするのは他ならぬ自分自身。

長い人生、また同じようなことが起こったときにそれを忘れてしまわぬよう、今回の経験を大切な教訓として生きていきたい。

 

んでもって、医療のお世話になるのであれば医師のいうことはよく聞きましょう。

苦痛や不便といった嫌なことを避けられない医療行為があるのは事実だけれど、医師が提示してくれる治療法って“現時点で一番オッズが高い”やつですからね。

我々のような素人が「いや、ネットでこう言ってる人がいたんですよ~」などと浅はかな知識を盾にして反論したところで百害あって一利なしです。

よくわからない民間療法やスピリチュアルにすがるのであれば、それを医療現場に持ち込むのは絶対にやめるべきだし、突然の怪我や病気で困惑している人にそんな怪しげな治療を勧めてくる馬鹿は海の藻屑にしてやれと思う。

 

特にオチらしいオチもありませんが、ただただ無駄に長いブログをお読みいただいた方、本当にありがとうございます。

もしも道端で激しく転倒するようなことがありましたら、どうかしっかりと受け身を取ってください。

わたくしのように顎で衝撃の大部分を受け止めるようなことがありませんように。

怪我がある程度治った暁には、またどこかのライヴ会場でお会いいたしましょう。