はじめての『ジェットボーイジェットガール』

どうも。僕です。

アレですね。やりましたね。快挙ですね。

ゴジラ-1.0』がアカデミー賞を受賞しましたね。

すごいね。まだ観てないけど。

 

いや。でもね、発表の瞬間の映像は見たんですよ。

そしたらね、プレゼンテーターは「ガッズィーーラ」とか言ってないんですよ。

普通に「ゴッ(ドゥ)ズィラ」って言ってた。

そしたらアレよ、『シン・ゴジラ』における石原さとみの発音はなんだったんだってこと。

あれは「誇張しすぎたゴジラ」ってこと? ザコシ?

 

 

まあ、そんなわけでついに出ましたね。

 

なにが。

 

首振りDollsのニュー・アルバム『ジェットボーイ ジェットガール』が。

 

 

2024年3月13日(大安)、首振りDollsの6thアルバム『ジェットボーイ ジェットガール』が世に放たれたわけであります。

2022年の大傑作『DOLL!DOLL!DOLL!』以来となる待望のニューアルバム。

全ロックンロールファン必聴の大注目作と言っても過言ではないでしょう、奥さん。

 

わたくしは前作『DOLL!DOLL!DOLL!』を聴いて首振りDollsの門をくぐったばかりの超にわかなので、ファンとして迎えるニューアルバムが今回が初めてということになります。

その第一印象を書き記しておかないわけにはいかないでしょう。

メモを片手に心を込めて1周聴きましたよ、あたしゃ。

約34分のめくるめくロックンロール体験。

震えながら書き殴ったメモに出来る限り忠実に、その感想を記していきたい。

あくまでも第一印象だし、冷静に読み直すと馬鹿っぽい感想もあるのだけれど、それはそれとしてお読みいただければ幸いであります。

おっさんの雑感をブログにしてしまう男。それがわたくしです。

 

ちなみに首振りDollsの洗礼を受けた衝撃を記録した記事はこちら。

これ以降、ことあるごとに「悪いことは言わないから『DOLL!DOLL!DOLL!』の最初の3曲だけでいいから聴いてみてくれ」と言い続け、少なくとも1人を首振りDollsの世界へと引きずり込むことに成功いたしました。イェイ!

 

 

sasayaki-okami.hatenablog.com

 

 

この記事を読むのに必要なのは、首振りDollsというバンド名、そしてメンバーの名前とパートだけだ。

 

・nao:ヴォーカル、ドラム

・ジョニー・ダイアモンド :ギター、ヴォーカル

・ショーン・ホラーショー:ベース

 

 

首振りDolls 『ジェットボーイ ジェットガール』

01. ジェットボーイジェットガール

すべてをなぎ倒しながら2分弱を駆け抜ける暴走チューン。ささくれたVo.の処理がかっこいい。
ギターソロから狂ったベースパートにバトンタッチ、最強にしびれる。

この無軌道なまでのスピードとアグレッションはZekeを愛する者としては大歓迎。

 

02. PSYCHO SISTER!!!!!

「どうも。キラーチューンでございます」と言わんばかりのイントロのギターメロディ。
荒々しいにもほどがある1曲目で完全に馬鹿になった耳に首振りDollsの妖しくグラマラスな一面を流し込んでくる。
ジョイマン髙木の如く左右にステップを踏みたくなってしまう踊れるベースラインも最高の最高。
他の曲にも言えることだけれど、全身全霊でギターソロパートを盛り上げようとするベースとドラムの気概が伝わってくるのが首振りDollsの素敵なところだ。naoとショーンが組んだ騎馬の上で弾きまくるジョニーの姿が目に浮かぶ。


03. NEVERMiND

イントロを聴いただけでショーン作であることが知れる個性的かつ軽薄で腰の位置が高いロックチューン。
攻撃的な言葉を吐き連ねるヴォーカルが気持ちいい。I hate youだけどNever mindとはこれいかに。
耳を惹くポップな「Ne-ne-ne-nevermind」のフレーズや踊れるベースラインなど、ストレートなロックチューンに確かなひと捻りを忍ばせるあたりにショーンの曲作りの上手さを感じる。

 

04. アンビー!

イントロが始まった瞬間にジョニー・ダイアモンドのペンによるものだとわかるロマンティスト・ジョニー節全開な1曲。
手垢にまみれたJ-POP的なアプローチでここまで瑞々しく甘酸っぱい曲に仕立て上げてしまうジョニーはまさにロックンロールの魔術師。
「3分半のストーリー」という歌詞が出てくるが、この曲の長さは約4分半である。
後半、順に声を重ねていくハーモニーパートはザ50回転ズの名曲「Baby, I Love You」を思わせる。
ドラムビートに合わせて頭上で両手を打ち鳴らす客席の光景が見える。青春やね。

 

05. 画舫(ゴンドラ)

緊迫感のあるヘヴィなリフからハンドクラップパートへ移行。
nao節全開の日本的なメロディで首振りDollsの魅力のひとつであるアングラな世界観へ。地獄のようにヘヴィなパートと軽快なパートの対比が見事。

どうしてゴンドラなのか。CDが届いたら歌詞をチェックしたい。

この曲でもジョニーのギターメロディが際立っている。

 

06. 雨の街

切なさをたたえたスローチューン。

極上の泣きのギターが何度も聴ける。パートごとにギターの音色も変えている?
部屋の湿度が上がりそうな湿り気たっぷりのメロディなのにベタでダサくならないのはすごい。
サビのメロディが素晴らしく、しっかりと展開もあってスローな曲だが飽きさせない。
アコギのアルペジオも印象的。セトリでの置き所は?

 

07. みちづれ

80年代歌謡曲っぽいイントロ。寺尾聡的な世界観で部屋のガラスが曇りそうな勢い。
売れっ子作曲家が書いた曲を一流のスタジオミュージシャンが演奏しました感。カッティングもかっこいい。
首振りDollsの新機軸? 80’s大好きアイドルなどに提供したらヒットしそう。
これまでも歌謡曲を思わせる要素はあったが、ここまで振り切ってくるのは面白い。
音数が少ないながらも印象的なベースもさすが。

 

08. Esc

ライヴではすでにサークルモッシュ曲として定着しているショーン作の暴れチューン。
デジタルハードコアを思わせる極悪サウンド。これは“悪い首振りDolls”と呼びたくなる。

“ジェットボーイジェットガール”と続けて演奏されたら死人が出るのでは。

これは何度でも言うけれど、サビはDragon Ashの“FANTASISTA”を連想してしまうのはわたくしだけだろうか。

普通に終わってもよさそうなのに、さらに明るく展開するパートをぶっこむショーンの曲作りの巧みさよ。

 

09. surrender

前作きってのキラーチューン“ウォンテッド”で会得したロックンロール・ディスコ路線をさらに推し進めた1曲。
“ウォンテッド”と比べるとかなり軽薄。コーラスパートの浮つきっぷりは最高だ。
今のところライヴでの演奏機会が少ないように思えるが、間違い無く新たなキラーチューンになるはず。
この曲に限らず、メロディを弾くジョニーが大活躍するアルバムでもある。
ギターソロの後のパートはギアチェンジという感じがして好きだ。
後半、これでもかと動きまくるショーンのベースもすごい。わたくしのようにキタダマキ氏を神と崇めるマンはショーンのベースを聴きに来て欲しい。

 

10.あなたに

最後はまさかのメロコア。結成12年、アルバム6枚目にしてたどり着いた境地がメロコアだとしたら面白い。
でも、全10曲を並べてみた時、最後を飾らせるのはこの曲しかないと思えるから不思議。
後半でまさかのスカコアに展開。すみません、『Punk-O-Rama』ですか、これは。
ひと言で言えば、とにかく良い曲。前作の“アイラブユー”も大傑作だったが、今回は“あなたに”で涙腺が崩壊してしまうだろう。

ジョニー・ダイアモンドという人は自分の憧れを素直に曲に出来るところが素晴らしいと思う。

2001年、多くの少年少女に楽器を持たせるきっかけとなったのはMONGOL800の“あなたに”だったが、2024年、その役割は首振りDollsの“あなたに”に引き継がれるかもしれない。

 

 

はい。まあ、わたくしの首振りDolls『ジェットボーイ ジェットガール』第一印象はこんな感じでございました。

今まで通りの首振りDollsでありながらも間違いなく前進している作品だと思うし、最高のライヴバンドである彼らのセトリをさらに強力にする1枚だと感じた。

ロックンロール、パンク、ガレージ、昭和歌謡などの要素を独自のフィルターに通したサウンドが彼らの持ち味だけれど、そこには間違いなく“ビーイング系”の血も流れていることを確信してしまったのがわたくしです。

ジョニー・ダイアモンドのDNAに刻まれているであろうビーイング系の遺伝子が、いつの日か首振りDolls日本武道館のステージへと押し上げる助けになりそうな気がしてならないのである。

 

かしこ

 

 

守りたい、その笑顔

どうですか、みなさん。

知らない人からもらったグミ、食べてますか。

これを機に「グミは危険だから禁止にしよう」みたいな話にならないといいですね。

コーラアップが食べられなくなったら悲しい。

 

というわけで、アレですね。

色々なルール守ってますか、みなさん。

世の中の秩序を保つ一助となっていますか。

 

ルールというのは秩序を保つためにあるもので、社会に生きる全員がそれを守ることによっていい感じの世の中が実現されるわけです。

暗黙の了解的なものもあれば、「これが守られないと人が死ぬっしょ」みたいなものは法律でしっかりと定められていたりするわけです、諸々のルールが。

だから、これを守らないというのは反社会的なことですし、いわゆる反社ですし、ルールが守れないなら自宅のバスタブの中で体育座りでもしてろと言いたいわけです。

 

んでもって、日常生活を送る中でよく見かけるのは、交通ルールを守らない馬鹿、いや犯罪者たち。

赤信号無視、斜め横断、自転車による車道逆走、スマホ片手に走行する自転車、一時停止する気のない車両など犯罪者のオンパレードなわけです。

最近は特に自転車の横暴がひどい。

自動車がやったら絶対アウトなことが自転車だと急に守られなくなるのが不思議でならないマイライフです。

道路交通法を知らないなら自転車に乗るな。知ってるのに守らないなら自転車をメルカリで売れ。「お値引きしていただければ即決します」みたいなよくわからないやり取りを延々と続けろ。

 

話が少しばかり脱線いたしました。

わたくしがひとつ疑問に思っておるのが、もしもそのような無謀な行為の末、ルールを守らない馬鹿…つまり犯罪者自身が怪我をしたとき、彼らは「周りの人が助けてくれるだろう」と考えているのかどうか、ということ。

 

怪我を負う原因の大部分を自身の違法行為によって叩き出しておきながら、いざ怪我をしたら周りの人たちが「大丈夫ですか。さ、わたくしの肩におつかまりになって」などと手を差し伸べてくれるはずだと思っているなら、マジで頭がおかしい。

 

だって、そんなんアレじゃないですか。

少しばかり汚い例えで恐縮ですが、うんこを食べながら道を歩いているのと同じじゃないですか。

こちらとしては直接迷惑をかけられない限りは「うんこ食べるのやめた方がいいですよ」などと特段注意したりすることはないけれど、その行為を横目で見ながら「うわ。道でうんこ食べてるやん」と心底軽蔑しているわけです。

 

だから、そんな人たちが「すみません。すごく具合が悪くなってしまって…」などと話しかけてきても、「いや、うんこ食べてるからじゃないですか?」としか言えないんですよ、こちらとしても。

だって原因明白じゃないですか。

 

だからね、これを読んでいるあなたには交通ルールをはじめとする各種ルールを守って欲しいなと思うし、わたくし自身も守っていきたいと思う。

ゴールド免許だと免許の更新が非常に楽なので。

 

注意

この記事には汚い表現が登場します。

そのような表現が苦手な方やお食事中の方は、画家のラッセンさんのカレンダーを1月から12月まで順繰りに眺めたりしてください。

脳内麻薬が出てしまった話(合法)

YouTubeのショート動画というものをご存知だろうか。

その名が示す通り、投稿されているのは再生時間の短い動画ばかりで、忙しい現代人でもサクッと観ることができる代物だ。

 

短いと言ってもNapalm Deathの“You Suffer”の如く1秒やそこらで終わってしまうものではなく、長い動画の要点や見どころをまとめたり、面白い瞬間を切り取ったりしたものなので安心していただきたい。

 


 

まあ、現在投稿されている膨大な数のショート動画のなかには1秒やそこらで終わってしまうものがあるかもしれないが、そのような例外をいちいち取り上げていてはキリがないし、それはこの記事の本題からは外れたところにあるので、「1秒の動画がこんなにたくさんありましたよ!」などと鬼の首を取ったかのような勢いで指摘するのは避けていただきたいと強く願うし、そのあたりの事情をどうかご理解いただきたい。

 

脱線しかかった話を元に戻そう。

先日視聴したショート動画のなかで、とあるお笑い芸人がこんな持論を展開していた。

 

 

違法薬物使用で捕まる芸人がいないのは、舞台で大ウケしたときに脳内麻薬が大量に分泌されるため、わざわざ薬物を摂取する必要がないからだ。

 

 

1回観て「ふーん」と思っただけなので、一言一句合っている確証はないのだけれど、だいたいこんな意味合いのことを言っていたと記憶している。

わたくしは芸人ではない普通のおっさんなのだが、この理屈がなんとなく腑に落ちた。芸人ではない普通のおっさんなのに、である。

 

ここでひとつ問う。

 

 

あなたは100人以上の前で爆笑を勝ち取ったことがあるだろうか。

 

 

わたくしはある。

 

 

芸人ではない普通のおっさんなのに、である。

では、芸人ではない普通のおっさんが、いかにして100人以上を爆笑させるに至ったのか。

どのように説明するべきか迷ったが、ここは適宜解説を加えながら時系列に沿って話していくのが一番早いであろう。

 

 

20XX年のとある日、真面目に真剣に真摯に労働に打ち込んでいるわたくしの名を課内の一番奥にあるデスクから呼んだのは、上司のA氏であった。

スタッフたちのデスクの脇をすり抜けるようにしてやって来たわたくしに対し、芝居がかった手つきで胸ポケットから折りたたまれたメモ紙を取り出し、それを無言で差し出してくるA氏。

表面に「業務発注書」と書かれたメモ紙を開くと、そこには次のような文章がA氏特有の筆跡で殴り書きされていた。

 

 

川崎へ

 今度の主任講習会、一番最後に指名するので

 大爆笑を取って締めてください。

 内容は虚実問いません。よろしく。

 

 

どこから説明するべきか判断に迷うが、まずは「主任講習会」から説明していくことにしよう。

主任講習会は主任職を対象にした勉強会で、3ヶ月に1度の頻度で開催されているもの。首都圏近郊の事業者にいる主任職は原則出席が義務付けられているため、出席者は毎回100名を超える規模となっている。

そして、その講師役を務めるのは係長職で、次回の主任講習会で講義をするのが他ならぬA氏というわけである。

 

まあ、講習会をスムーズに進めるため、同じ事業所の部下に「こういう質問をしてくれ」だの「この答えを言ってくれ」だのと依頼することはある。いわゆる“サクラ”というやつだ。

しかし、依頼内容が「爆笑を取れ」というのは聞いたことがないし、一般サラリーマンの業務内容の範疇を超えているのは間違いないだろう。

A氏がわたくしの笑いのセンスを高く評価してくれているのは知っていたが、これは無茶ぶりもいいところである。

野球チームの監督がバッターボックスの選手に対して「ホームランを打て」というサインを出すくらいめちゃくちゃな話である。

 

だが、わたくしはこの依頼を受けた。

いや、受けた記憶はないのだけれど、断った記憶もないので、おそらく「はあ…わかりました」くらいの返事をしたのであろう。

芸人ではない普通のおっさんなのに、である。

今だったら迷うことなく断っている話だと思う。

 

 

そして迎えた運命の主任講習会当日。

講習が和やかに進むなか、「絶対に笑わせなければいけない主任講習会」の重圧に押しつぶされそうになっているわたくしがいた。講義の内容なんてひとつも入って来ないのが正直なところである。

今にして考えればあり得ない話なのだけれど、この時点でお題すら明らかになっておらず、ネタを考えることができない状態。ぶっつけ本番すぎる。

 

そうこうしているうちに講習会は半ばを迎え、10分間の休憩タイムへ。

講師役のA氏がわたくしの元までやって来たので、「大爆笑頼むぞ」などと念を押されるのかと身構えたが、その口から発せられたのは「ちょっと進行が押してるから、最後に当てられないかも。ごめんな」という予想外の言葉。

自分にとって都合のいい部分だけを見てしまうのが人間の性というもので、「当てられないかも」の「かも」の部分は完全に頭からすっ飛んでいた。

「かも」の部分が重くのしかかってくるのは、それから数十分後の話である。

 

休憩時間終了後からは、A氏が参加者を指名してお題について答えさせるパートがスタートしたが、こちらとしてはもう高みの見物状態である。

ようやく明らかになったお題の内容について考えもせず、ものすごい勢いで余裕をぶっこいていた。

前半の内容は緊張しすぎて何も覚えておらず、後半は弛緩しすぎて何も覚えていないという「何しに行ったんだ、お前は」と言われても仕方のない体たらくである。

 

しかし、運命は非情であった。レ・ミゼラブルであった。アームジョーであった。

主任講習会が終わる直前、A氏の口から発せられたのは他ならぬわたくしの名前であった。

悲しかった。驚いたというよりも、ただただ悲しかった。

何故なら「最後に当てられないかも。ごめんな」の言葉が嘘だったからである。

その言葉を信じて余裕をぶっこいていた自分が虚しかった。ただただ虚しかった。

 

説明するのを忘れていたが、この主任講習会には社員教育のノウハウを持つ外部の業者が関わっている。

講師は外部業者が考案したカリキュラムを理解し、それを自分なりのフィルターを通して参加者に講義することが求められる。つまり、A氏も外部業者から評価される立場だと言えるだろう。

 

外部業者のスタッフからマイクを受け取り、緩慢な動作でのろのろと立ち上がるわたくし。

不幸なことに、頭のなかに言うべき言葉は何ひとつ浮かんでいない。

その5秒前まで余裕をぶっこいて座っていただけなのだから当たり前の話である。

 

しかし、ひとつだけ幸運だったのは、「最後に爆笑を取って終わる」という企みを知っているのは、わたくしとA氏のふたりしか存在しないという事実である。

つまり、ここでわたくしが無難な内容を喋って終わらせたとしても、ガッカリするのはA氏だけなのだ。

せっかく期待してもらって申し訳ないが、ここは何か無難な内容の答えをでっち上げて終わりにさせてもらおう。

そう思った瞬間だった。

 

 

降りて来た

 

 

これが天啓というものなのだろうか。

まさに「降りて来た」としか表現できないアイデアが突如として頭のなかに湧き出したのである。

浮かんだアイデアを頭の中で反芻する。

うん。話の破綻はなさそうだし、100%事実に基づいたものであるということが非常に好ましく感じられた。

 

実際に話した内容については伏せるが(あんまり面白くないですね、と言われると悲しいので)、わたくしがオチのフレーズを発した瞬間、会場が爆発した。

そう、「爆発した」としか表現できない笑い声が炸裂したのである。

オチに続いて何かしらの言葉を発したはずだが、自分の声が聴こえなくなるほどの大爆笑であった。

あの瞬間、すべてがスローモーションで見えたのをよく覚えている。脳内麻薬がドバドバ出ていた影響なのではないだろうか。

 

講習会終了後、わたくしの席にすっ飛んできたA氏が興奮した表情で握手を求めたきたとき、「マジで映画のラストシーンかな?」と思ったし、あの感動は今も色褪せていない。

外部業者のスタッフも「この仕事を長いことやっていますが、あんなことが起こったのは初めて見ました」と唖然としていた。

多分だけど「最後に爆笑を取って終わらせてくれ」なんて部下に強要する人は普通いないので、今まで見たことがなくて当然だと思う。

 

芸人ではない普通のおっさんが勉強会で笑いを取っただけでこの快感である。

本職の芸人さんが舞台中毒になるのは十分すぎるほど納得できるし、薬物中毒者には「クスリをやるな。お笑いをやれ」と強く忠告したい。

この街には君がいない

どうも。キャンドル・リョウこと僕です。

耳たぶに穴を空けて印鑑ケースみたいなのを挿したりしております。

 

わたくしは今、はてなブログの編集モードを開いてキーボードを打っておるわけなんですが、画面の右側に「はてなブログからのお知らせ」という欄がありましてね。

そこにね、まあ、なかなか見逃せないことが書かれておるわけですよ。

 

どんなことが書かれているのか簡単に説明するとですね、まあ、ちょっとばかり薄汚い話になって恐縮なのですが、

 

 

記事を有料で販売できるようにしました

 

 

なぞというフレーズがですね、画面の右側に躍っているわけですよ。

さらにはその下にポップなフォントで「記事の有料販売をはじめよう!」なんて広告も掲載されていてですね、もうこの波に乗らないのは非国民だぜ、くらいの強めのテンションでブロガーを有料販売の道へ誘おうとしているわけであります。

いや、誓って言いますが、わたくしはブログを書いてお金を頂戴しようだなんてことは生まれてこの方、一度だって考えたことはございませんよ。

ただ、はてなブログの方がどうしてもとおっしゃるなら、わたくしの肩を抱きながら「有料販売をはじめよう!」などとおっしゃるのならば、それを無下に断るのも失礼に当たるのではないだろうか。

まあ、そんなことを考えているわけであります、今のわたくしは。マイセルフは。

 

もしも記事の有料販売を始めた折にはですね、某国民的歌舞伎俳優の方のブログのように日常のどうでもいい話を数行にしたためた薄すぎる記事を1日に何度も更新して日銭を得ていく所存であります。

みなさま、よろしくお願いいたします。

 

 

いきなりお金の話をしてしまってすみませんでした。

本題に入らせていただきます。

いやー。アレですね。今一番わたくしたちが目にしたくない言葉。

恐れている言葉。とても忌まわしくて虫唾が走るフレーズというのがありますね。

 

 

 

API呼び出しの回数制限を超えました

 

 

 

なんなんでしょうか、これは。

TwitterのTLにこの表示がいきなり現れたが最後、親愛なるホロワーさんたちの愉快なツイートを読むことができなくなってしまったのですよ。

しかもこれは、わたくしだけに起こった現象ではなく、世界中のTwitterユーザーの身にも同様に降りかかっているというじゃありませんか。

 

どうやら一定時間が経過すると解除されるようなのだけれど、すでに生活の一部となって久しいTwitterを見ることができないストレスは想像を絶するものでございました。

停電と同じくらい…というと大袈裟ですが、本当にインフラが破壊された時のような大いなる困りがわたくしの中に生まれたのは事実。

 

だってさ、Twitterはもはや単なるコミュニケーションツール以上の意味合いを持ってしまっているわけじゃないですか。

まあ、もちろんホロワーさんと愉快な会話を交わしたりするのも使用目的のひとつではあるのだけれど、好きなアーティストの最新情報から世界情勢、ホロワーさんの近況なんかもTwitterを通じて得ている部分が多々あるわけじゃないですか。

それらが一気に遮断されてしまうということは、世界から放り出されてしまったような感覚に陥るわけじゃないですか。

 

TwitterのTLっていうのはユーザーごとに違っていて、おそらく同じ物は世界にふたつは存在しないと言えるほど独自性に満ちていると思うのです。

わたくしの場合、2009年10月にアカウントを作成しているので、約13年半物のTLを所有しているわけですよ。

言ってみれば創業当時から継ぎ足し続けた秘伝のタレみたいなものでね、そう簡単にぶっ壊されてしまったら困るんです。マジで。

まあ、Twitterが本当にサービス終了になった場合、このタレを持ったまま別のSNSに移動できればいいのだけれど、きっとそれは難しいのではないかなと思う。

だからね、Twitterが消滅してしまったら本当に困るんです。

最悪の場合、わたくしが買い取ることも検討しなければいけないので、みなさんにおかれましてはわたくしの有料ブログをたくさん買ってください。

よろしくお願いいたします。

 

 

あとね、Twitterがなくなると困る理由がもうひとつありましてね。

Twitterの投稿のことを「つぶやき(=tweet)」と呼ぶのだけれど、元々は独り言を吐き出すためのツールという性格があったわけです。

ふと浮かんだどうでもいいフレーズや脳内で渦巻く情念のようなものを電子空間の虚空に向かって好き勝手に吐き出していく。

この使い方ができる場が失われてしまうのは本当に困るのです。

まあ、言い方は悪いけれど“思考のゴミ捨て場”みたいなもので、それをバンバン投下していたら「お。このゴミいいじゃん」と拾ってくれる人と出会ったりして、その縁がTwitter生活をさらに楽しいものにしてくれたケースもあるわけで。

 

だからね、このゴミ捨て場がなくなってしまうと、マジでわたくしの頭の中はゴミ屋敷になってしまう可能性があるのですよ。

簡単に言えば狂人ロードまっしぐらですよ。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』ですよ。

だからね、Twitterが消滅してしまったら本当に困るんです。

最悪の場合、わたくしが買い取ることも検討しなければいけないので、みなさんにおかれましてはわたくしの有料ブログをたくさん買ってください。

よろしくお願いいたします。

 

あとね、わたくしの造語ですが、“Twitter人格”ってあるじゃないですか。

「あるじゃないですか」とか言われても困ると思うけど、「あるよねー」と理解していただけた前提で話を進めますよ。

 

わたくしが13年以上にわたって積み重ねてきた膨大なツイートの数々。

その中にはインターネットだから言えるような“一般的にはあまりよろしくない”と思われる意見も含まれているし、長年ずっと考えてきた持論のような面倒くさくて厄介なもの多く含まれているわけです。

だから、長年にわたってわたくしのツイートを見てきたホロワーさんたちは、それらのツイートを通じてわたくしのことを知っているわけで、そのイメージがホロワーさんにとっての“わたくしの人格”ということになるわけです。

 

そのTwitter人格が現実のわたくしとまったくイコールなわけでは絶対にないのだけれど、職場の同僚などが知っている“社会人としてのわたくしの人格”と比べると遥かにリアルなわたくしに近いのではないかナーなどと思っております。

まあ、だからこそリアルの知り合いにTwitterをあまり見られたくないという部分もあるのか。一長一短でございますね。

 

結局のところ、何が言いたいかと申しますとね、決してよそ行きではないわたくしのTwitter人格を見て「あ、この人フォローしてみようかな」と近付いて来てくれたホロワーのみなさまにはね、心の底から感謝しなければいけないナーということですよ。

これからも電子のゴミ捨て場ことTwitterで仲良くしてください。

だからね、Twitterが消滅してしまったら本当に困るんです。

最悪の場合、わたくしが買い取ることも検討しなければいけないので、みなさんにおかれましてはわたくしの有料ブログをたくさん買ってください。

よろしくお願いいたします。

 

 

本来ならばこんな意見はTwitterで垂れ流すべきなのかもしれないけれど、Twitter自体の永続性に大いなる疑念が生じてしまった今、ここにこうして書き残しておきます。

もしもTwitterが消えたらmixiでお会いいたしましょう。

守るべきものを見失わない。それが基本だ

どうも。意外に思われるかもしれませんが、僕です。

2月からブログを放置しておることに気付きまして、そろそろ何か更新しておこうかなと思い、(概念としての)フルチンでパソコンに向かっております。

まあ、そんな“とりあえず更新”ではありますが、わたくしが最近考えていることとかね、わたくしのマインドの中にある大切なメッセージとかをね、この場を借りて発信していこうかな、と思ってます。

 

えー。みなさん、最近ライヴとかフェスとか行かれてますか。

特に洋楽界隈は円安とかコロナとか色々な要因があるせいか、チケットの値段がどんどん高騰していてファンは金銭的に青息吐息なのだけれど、それを抜きにしてもちょっと気になることがありませんか。

 

 

なにが。

 

アップグレードチケットの乱発ぶりが。

 

 

ゴールドだのプラチナだのVIPだの上級国民だの ネーミングは様々ですが、あの手この手で我々の財布をこじ開けようとしてくるわけですよ。

価格に入場券が含まれているのは良心的なパターンで、「入場券は別にお買い求めくださいね。お買い求めにならない方は知りませんよ。かしこ」といった特別重加算税みたいなやつも少なくないわけです。

 

せっかくなので一例を挙げておきましょうか。

 

コロナ前の話ではあるけれど、2017年のGuns N' Roses来日公演では“VIPスタンディングチケット”という約3万円くらいの券種が売り出されておりましてね。

まあ、わたくしもそれを購入したわけであります。ガンズのことが好きなので。

 

価格が3万円で、その名称が“VIPスタンディングチケット”ですよ。

VIPとは“Very Important Person”、つまり重要人物という意味ですから、これはステージからほど近い場所に設けられた快適な場所で優雅にライヴを鑑賞できることが約束されているものだと思うじゃないですか。普通はね。

 

それがまあ、蓋を開けてみれば単なるスタンディングエリアでね。

しかも3万円払ってすっかりVIP気取りの客が「俺は特別なんだぞ」って顔して前方に向かって力任せに押し込んでくるわけですから、それはもう地獄の様相を呈しておりました。

「VIPってなんだろう?」という素朴すぎる疑問を抱きながら力尽きた人も少なくなかったことでしょう。

これがVIPに対する正当な扱いだったら、庶民は熱々に焼けた砂浜に裸足で立たされても不思議じゃないですよ、ホント。

 

まあ、他ならぬVIPがそんな扱いなわけで、「それじゃあ、救いは…正義は一体どこにあるんだ!?」と言いたくなるのだけれど、救いも正義もアップグレードチケットにありました。

早い話、“VIPスタンディングチケット”を購入した客に「もっとお金を払えるならもっとすごいサービスあるんだけどナー」と囁きかける悪魔の商法です。

 

いやー。このアップグレードが本当にすごくてね。一度経験してしまったら二度と一般VIPには戻れない快適さなわけですよ。

物販の優先レーンや会場への優先入場、アップグレードチケット購入者だけが立ち入りを許される超快適なスタンディングエリアなど至れり尽くせり。

人口密度がとんでもないことになっている一般VIPエリアとは天と地ほどの違いで、思わず「やはり金は正義」などという下卑た台詞が漏れてしまうレベルなわけです。

“ライヴキッズをダメにするチケット”と称しても大袈裟ではないかもしれません。

 

まあ、それは別にいいんですよ。

お金をたくさん出した人が前の方で観られる、というのは理屈としては納得できる。

資本主義ですよ、資本主義。神の見えざる手です。

(高いチケット買ったのに全然良い席じゃなかった…という悲しいケースもあるだろうけど、それはまた別の話)

 

でもね、それは単独公演に限った話にして欲しいナーと思うのはわたくしだけでしょうか。

今年開催された某フェスでは、高額なゴールドチケットを買わなかった客はカスみたいなポジションでしかステージを観ることができない卑劣なエリア分けになっておりまして、「フェスでそれをやるのは違うんじゃないのかい?」と激しい怒りを覚えた次第。

 

あれは何年前だったか、SUMMER SONICにプラチナチケットが導入されたときは、“フェスに興味があるけれど体力に自信がない人”“フェスを安全・快適に楽しみたい人”のための券種というニュアンスだったと思う。

「鑑賞エリアはステージからちょっと遠いけど、安全にフェスを楽しめますよー」みたいなね。いわば快適に過ごすことに特化したチケットなわけです。

そういう趣旨なら完全に賛同できるのだけれど、「高いチケット買わないと真ん中で観られませんよ。買わない人は端っこですよ」というのは違うだろ、と。

 

お金は無いけど体力だけはあります!みたいな若いキッズが朝から最前エリアに張り付いて、ずっと憧れていた世界一好きなアーティストのステージをキラッキラした瞳で見つめる…てな感じのエモい光景を見たいんですよ、あたしゃ。

体力は無いけどお金はあります!みたいな中高年ばかりがスクリーンに映っていたら興醒めするし、演奏しているアーティストもテンション上がらんでしょう。

 

まあ、わたくしもすでにおっさんで朝から晩まで前方エリアで暴れ倒すなんてことは出来ませんが、フェスに関してだけは“アップグレードチケットは脇役”ということにしておいて欲しいナーと切に願っております。

よろしく哀愁でございます。

悩んで学んで

どうも。僕です。

身体の目立つ箇所に「火気厳禁」というタトゥーを彫っておくと、自分が死んだ時に火葬場の人が少し笑ってくれるのではないか。

そんなことばかり考えて生きております。

 

わたくしもね、たまには時事ネタを取り上げてみようと思いましてね、こうしてブログを書いているわけであります。

最近の話題と言えばね、やはり回転寿司屋さんのアレを避けて通るわけにはいかないでしょう。

みなさんにとっても決して無関係な話題ではないはずでしょう。そうでしょう。違いますか。

 

まあ、簡単に言えば、回転寿司屋の店内で客が醤油さしを舐めるなど不衛生な行為をする動画が出回って、寿司屋の株は下がるわ、やった本人は炎上するわ、それを模倣する輩まで登場するわ、と大変な騒ぎになっているわけですわ。

野菜の無人販売所などと同じで、利用する側に悪意が無いことで成立していた業態であることが明白になったとも言えるのだけれど、かと言って店舗側が醤油やら湯呑やらをガチガチに管理するようになったら客も店員さんも不便なわけで、一部の輩の不心得で多くの人が迷惑しているわけですわ。

 

そういうわけでね、わたくしが解決策を考えましたよ。

最初は黙って成り行きを見守ろうかとも思いましたが、ここはわたくしが一肌脱ぐしかないでしょう、と。

今日はね、その解決策を当ブログ独占でお伝えしていこうかな、と。

本来であれば有料級の内容だけれど、他ならぬみなさまのために無料で公開してあげようかな、と。

 

 

解決のヒントは、炎上した数々の動画の中ありました。

いかにも“見つけました”みたいなニュアンスで言っていますが、これに気付かない方がどうかしているレベルでまざまざと映っておりました。

みなさま、けしからん行為をしている輩の顔や風体をよーくご覧ください。

いや、よーく見なくても大丈夫だな。ざっと見てください。さっと見てください。

 

 

そう。馬鹿っぽいでしょう。

 

 

ということはですよ、馬鹿っぽい客をお店に入れなければ、全部とは言わないまでもかなりの数の迷惑行為を未然に防ぐことができる可能性が高いということです。

まあ、もちろん“馬鹿に見えるけど実は賢い人”が入店を断られるケースもあるかと思いますが、社会全体の利益を考えるとそれも致し方ないと割り切るしかありません。

そこはもう「申し訳ないけど泣いてください」と頭を下げるしかありません。

 

まあ、このような制度を導入すると仮定した場合、法律などを改正して“馬鹿っぽいことを理由に入店を断る権利”を店側に与える必要があるわけです。

馬鹿な客を高いレベルで見分ける専門職、いわゆる馬鹿ソムリエのような人材を一般の店員さんとは別に配置することが望ましい、みたいな決まりを作ってもいいかもしれません。

先ほども述べた通り、“馬鹿じゃないのに馬鹿だと判断されてしまう”というケースはあるでしょうが、救急医療のトリアージと同じで、結果的に間違っていたとしてもそれに関して責められることはない、を原則にするべきでしょう。

(明らかに個人的な恨みで入店を断る、などのケースは別として)

 

このような制度が導入されたとき、いったい何が起こるか。

馬鹿を(ほぼ)シャットアウトすることによって、飲食店における迷惑行為・不衛生行為が(おおむね)撲滅されることになるのは当然ですが、それ以外にも副産物的な効果が期待できるのです。

どうしても飲食店で食事をしたい、回転寿司を食べたいという馬鹿たちがですね、入店拒否をされたくない一心で自分磨きを始めるわけです。

身だしなみをきちんとする、言葉遣いをきちんとする、マナーを守る、そういった当たり前のことにようやく興味を抱くようになるわけです。

中田英寿よろしく自分探しの旅に出てしまうやつまで出現するかもしれません。

脱・炭素みたいな感覚で脱・馬鹿の動きが加速するわけです。

 

そのようにして脱・馬鹿を目指した結果、ついに入店拒否をされなくなる日がやってくるわけです。馬鹿にとっては大きな成功体験です。

そうなると、馬鹿(元・馬鹿になりつつある)は“飲食店に入れる”ということ自体に優越感を感じるようになり、さらに自分磨きに拍車がかかることになるでしょう。

他の馬鹿たちから「あいつ半端ないって!回転寿司屋で入店拒否されないもん!そんなんできひんやん、普通!」と羨望の眼差しで見られたりして、それが一種のステータスになったりするわけです。

好きな女の子(馬鹿)に「俺に見合う女になったら一緒に回転寿司屋に行こうぜ」とかキザな言葉を投げかけたりするわけです。

 

まあ、入店拒否をされないくらいにまともになったとしても、やっぱり店内で問題行動をしてしまう人もゼロではないでしょう。元々が馬鹿なので。

そういう事件が報道されるたび、他の元・馬鹿たちは「俺たちは真面目にやっているのに! こんな馬鹿のせいで!」と憤りながら涙を流したりするわけです。

そしてそこで気付くわけです。

 

 

俺たちは周りからこういう目で見られていたのか、と。

 

 

すべての馬鹿がその事実に気付いたとき、世界からマナー講師という職業が消えるのではないかな。

そんなことをふと思ったわけです。

特にオチはございません。

叩く人、叩かれる人

世の中には色々なコラボレーションがあるじゃないですか。

ギャンブル場と消費者金融のコラボレーションがあったら需要と供給が完全に一致すると思うのだけれど、この名案をどこに持って行けばビジネスチャンスに繋がりますか。誰か教えてください。

 

あ。ご挨拶が遅れました。

常に新しいビジネスモデルを模索している僕です。

常に出資者も募集しております。

よろしくお願いいたします。

 

今日はすぐに本題に入りましょうかね。

すぐに本題に入らないのが自分の悪いところだと自覚しているし、すぐに本題に入らないことによってブログを読みに来てくださるみなさまの時間を無駄にしてしまっていることも認識しております。

みなさまの時間を無駄にすることは社会の損失、つまり世界の損失です。

この悪癖を断ち切るにはどうすればいいのか。負の連鎖から抜け出し、より良い人生を歩むにはどうすればいいのか。

それは誰にもわからない。

 

あ。すみません。本題のことを失念しておりました。

さっさと本題に入らない自分をビンタしたいですね。軽めに。

入るよ! すっごい入るよ!(桜庭選手の「すべるよ! すっごいすべるよ!」の口調で)

 

 

えー。みなさまにおかれましては、11月11日に発売されたGuns N' Roses『Use Your Illusion』のボックスセットはお買い求めになられたでしょうか。

ええ、そうです。定価5万円くらいするやつです。

「Super Deluxe Edition」っていうCD7枚&Blu-ray1枚セットのやつです。

 

 

こちらのボックスセットの目玉と言えるのが、1991年5月16日に開催されたリッツ公演の模様を収録したBlu-ray『LIVE IN NEW YORK, Ritz Theatre - May 16, 1991』。

いやー。これがもう筆舌に尽くしがたい美麗映像で、これを世に出してくださってありがとうございますと果てしなく感謝をする一方、こんなすごい映像を30年以上も秘匿しやがってと文句のひとつも垂れてしまいたくなるほどの逸品なわけですよ。

まあ、簡単に言えば“全ガンズファン必見のBlu-ray”ということです。

 

つい先日、ガンズファンにとっての聖杯とも言える同作を大きな画面でじっくりと観る機会がありました。

このリッツ公演は1991年5月24日からスタートする『Use Your Illusion』ツアーのウォームアップ・ギグとして組まれたもので、ディジー・リードとマット・ソーラムにとってはガンズ加入後6本目のライヴということになります。

今回は新ドラマー、マット・ソーラムについて少し書いていこうかなと思っております。

Twitterでやるには少し長く、ブログでやるには少し短いテーマなのだけれど、ツイートの連投でタイムラインのお目汚しになるのも嫌なので、こちらでやらせていただくことにしました。

 

さて、みなさまはマット・ソーラムことイルカおじさんにどのような印象をお持ちでしょうか。

ガンズ在籍時の印象が強い方には

 

『Use Your Illusion』ツアー期のマット・ソーラム

 

こんなバンダナのイメージが。

ガンズ脱退後にスラッシュやダフ・マッケイガンと結成したVelvet Revolverの印象が強い方には

 

一気に垢抜けた感のあるVelvet Revolver

こんな感じのシュッとした風貌のドラマーとして記憶されているのではないでしょうか。

ガンズ加入以前、The Cult在籍時の彼を記憶している人がどれだけいらっしゃるかわかりませんが、わざわざ画像を貼る意味もなさそうなので割愛いたします。

 

肝心のドラマーとしては、パワフルで正確、よく訓練されたミュージシャンという印象があります。

今回、1991年のライヴ映像を観た感想もその印象と相違なく、バンド加入からそれほど期間が経っていないということもあるせいか、非常に丁寧にプレイしているように思えました。一緒にプレイするミュージシャンの立場から言えば、かなりやりやすいタイプのドラマーだと言えるかもしれません。

特にアルバム『Use Your Illuson』からは多様な音楽性を取り入れた楽曲が増えたため、ドラマーとして高いスキルを持ったマットの加入はバンドにとって渡りに船だったでしょう。

 

しかし、ファンの間でマット・ソーラムの評価があまり高くないことも事実。

逆に、前任のスティーヴン・アドラーはロックドラマーとして卓越した技術は持っていないものの、彼にしか醸し出せない独特のフィーリングがあり、1stアルバム『Appetite For Destruction』に残したプレイは「あれこそがガンズのグルーヴの神髄なんだ」と神格化されています。

純粋にミュージシャンとしての技量を比較した場合、圧倒的な大差でマット・ソーラムに軍配が上がるはずですが、上手ければいいという話ではないのが音楽の面白いところ。

いまだに少なからぬ数のガンズファンがスティーヴン・アドラーの“音符に書き表せないリズム感”にロマンを抱いているのです。

本日はその理由についてわたくしなりの考えを述べさせていただこうと思っております。

 

 

話をわかりやすくするため、Guns N' Rosesというバンドを1台のレーシングカーに例えてみましょう。

このレーシングカーには5台のエンジンが積まれており、それぞれが異なる役割を果たしています。(厳密に言えば『Use Your Illuson』期はディジー・リードというエンジンも積んでいるはずですが、話がややこしくなるので無視します)

 

メインエンジンのアクセル・ローズは出力が不安定なところが玉に瑕ですが、ハマった時に見せる馬力は業界随一。ガンズを特別な存在に押し上げた要素のひとつです。

そして、同じくガンズに特別なフィーリングを加えていたのが、スティーヴン・アドラーというエンジン。

これはちょっと変わったエンジンで、出力が非常に不安定な代わりに、調子が良い日には他のエンジンまでパワーアップさせてしまう不思議な特性を持っていました。

アクセル・ローズとスティーヴン・アドラーの調子が良い日は、ガンズというレーシングカーは本来の限界を超え、満点を超える130点の走りを見せることが出来たのです。

 

しかし、スティーヴン・アドラーというエンジンは「さあ、これから!」という時に故障してしまい、ガンズはこれに取って代わる新しいエンジンを探さなければなりませんでした。

そこで白羽の矢が立ったのが、スティーヴンとは違って常に安定した出力を出すことが出来るマット・ソーラムです。

飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍を見せていたガンズは、これからさらにグレードの高いレースを走ることになる身。

いざ走ってみなければ調子の良し悪しがわからないエンジンよりも、常に安定したパワーを出せるエンジンの方が好都合に決まっています。

 

つまり、ガンズは130点を叩き出す魔法のような夜を手放す代わりに、80~90点をコンスタントに出せる(アクセルの調子次第ではあるけれど)安定を選んだということになります。

おそらく多くのファンが安定感のあるマットよりも不安定なスティーヴンに魅力を感じるのは、ハマった時の爆発力、5人が己の限界を超える瞬間のロマンにあるのではないでしょうか。

少なくともわたくしがマットよりもスティーヴンを贔屓にしているのは、それが大きな理由となっております。

 

しかし、当日のスティーヴンの健康状態や技量では『Use Your Illuson』のレコ―ディンやツアーをこなすことが出来なかった可能性が高いであろうことは間違いありません。

メンバーも「新曲の中にはスティーヴンの手に負えないものもあった」という意味の証言をしていました。

そういう意味では、マット・ソーラムの加入はガンズにとってベストな選択だったのではないでしょうか。

特に“You Could Be Mine”のようなパワフルなドラミングが求められる曲は彼の本領が見事に発揮されており、現在に至るまでの歴代ドラマーの追随を許さないハマり具合。

1993年7月まで続いた『Use Your Illuson』ツアーを無事に終わらせることが出来たのは、マットの安定感があったからこそだと言えるでしょう。

 

そんなマット・ソーラムは、2020年に自身初の自伝本『Double Talkin' Jive: True Rock 'n' Roll Stories from the Drummer of Guns N' Roses, The Cult, and Velvet Revolver』を上梓。

あまり話題にならず、日本語訳もいまだに出版されておりません。

 

あまり話題にならなかった自伝本


わたくしは入手して面白そうな部分だけざっと読みましたが、「この人、こんな本を出しちゃって大丈夫かな?」と心配になるくらい各方面への不平不満が満載の内容でした。

これで本がベストセラーになれば「バンドの内幕を切り売りした甲斐があったね!」と言えるけれど、これじゃお世話になった人たちに後ろ脚で砂をぶっかけただけですよ。

率先して自分の立場を悪くしていく男、それがマット・ソーラム

まだAmazonなどで入手できるはずですので、興味がある方は自己責任で読んでみてください。それなりに興味深いパートもあります。

 

 

あ。ここからは余談です。

11月11日、つまり『Use Your Illusion』ボックスセットの発売日にですね、宅急便の配達員の方が自宅を訪ねて来たわけですよ。

そんなの理由はひとつしかないわけですよ。

『Use Your Illusion』ボックスセットの現物がついに我が家にやって来たわけですよ。

 

感動に打ち震えて荷物を受け取ったわけですが、なんか思ったよりも箱が小さい。

あ。こんなサイズ感なんだ。保管スペースが小さくて済むからありがたいね!

などと思考をポジティヴな方向へ誘導しながら箱を開封したわけですよ。

 

 

そしたら入ってたよね。

 

なにが。

 

マット・ソーラムの自伝が。

 

 

いやー。思わず窓から投げ捨てそうになったよね。

はるばる海を越えて『Use Your Illusion』ボックスセットと同じ日にやって来るんじゃないよ、我が家に。

あまりのまぎらわしさにJAROに電話して「まぎらわしいのはダメだよ!」って苦情を入れようかと思ったよね。

タイミングを読まないのはダメ、絶対。

 

 

あ。最後にひとつ宣伝させてください。

現在発売中の『ヘドバン Vol.37』でガンズ関連の記事を2本担当しております。

すでにお読みいただいた方、本当にありがとうございます。

アヴリル・ラヴィーン表紙号でございます。

是非お手に取っていただけたら非常に嬉しいマイライフです。