脳内麻薬が出てしまった話(合法)

YouTubeのショート動画というものをご存知だろうか。

その名が示す通り、投稿されているのは再生時間の短い動画ばかりで、忙しい現代人でもサクッと観ることができる代物だ。

 

短いと言ってもNapalm Deathの“You Suffer”の如く1秒やそこらで終わってしまうものではなく、長い動画の要点や見どころをまとめたり、面白い瞬間を切り取ったりしたものなので安心していただきたい。

 


 

まあ、現在投稿されている膨大な数のショート動画のなかには1秒やそこらで終わってしまうものがあるかもしれないが、そのような例外をいちいち取り上げていてはキリがないし、それはこの記事の本題からは外れたところにあるので、「1秒の動画がこんなにたくさんありましたよ!」などと鬼の首を取ったかのような勢いで指摘するのは避けていただきたいと強く願うし、そのあたりの事情をどうかご理解いただきたい。

 

脱線しかかった話を元に戻そう。

先日視聴したショート動画のなかで、とあるお笑い芸人がこんな持論を展開していた。

 

 

違法薬物使用で捕まる芸人がいないのは、舞台で大ウケしたときに脳内麻薬が大量に分泌されるため、わざわざ薬物を摂取する必要がないからだ。

 

 

1回観て「ふーん」と思っただけなので、一言一句合っている確証はないのだけれど、だいたいこんな意味合いのことを言っていたと記憶している。

わたくしは芸人ではない普通のおっさんなのだが、この理屈がなんとなく腑に落ちた。芸人ではない普通のおっさんなのに、である。

 

ここでひとつ問う。

 

 

あなたは100人以上の前で爆笑を勝ち取ったことがあるだろうか。

 

 

わたくしはある。

 

 

芸人ではない普通のおっさんなのに、である。

では、芸人ではない普通のおっさんが、いかにして100人以上を爆笑させるに至ったのか。

どのように説明するべきか迷ったが、ここは適宜解説を加えながら時系列に沿って話していくのが一番早いであろう。

 

 

20XX年のとある日、真面目に真剣に真摯に労働に打ち込んでいるわたくしの名を課内の一番奥にあるデスクから呼んだのは、上司のA氏であった。

スタッフたちのデスクの脇をすり抜けるようにしてやって来たわたくしに対し、芝居がかった手つきで胸ポケットから折りたたまれたメモ紙を取り出し、それを無言で差し出してくるA氏。

表面に「業務発注書」と書かれたメモ紙を開くと、そこには次のような文章がA氏特有の筆跡で殴り書きされていた。

 

 

川崎へ

 今度の主任講習会、一番最後に指名するので

 大爆笑を取って締めてください。

 内容は虚実問いません。よろしく。

 

 

どこから説明するべきか判断に迷うが、まずは「主任講習会」から説明していくことにしよう。

主任講習会は主任職を対象にした勉強会で、3ヶ月に1度の頻度で開催されているもの。首都圏近郊の事業者にいる主任職は原則出席が義務付けられているため、出席者は毎回100名を超える規模となっている。

そして、その講師役を務めるのは係長職で、次回の主任講習会で講義をするのが他ならぬA氏というわけである。

 

まあ、講習会をスムーズに進めるため、同じ事業所の部下に「こういう質問をしてくれ」だの「この答えを言ってくれ」だのと依頼することはある。いわゆる“サクラ”というやつだ。

しかし、依頼内容が「爆笑を取れ」というのは聞いたことがないし、一般サラリーマンの業務内容の範疇を超えているのは間違いないだろう。

A氏がわたくしの笑いのセンスを高く評価してくれているのは知っていたが、これは無茶ぶりもいいところである。

野球チームの監督がバッターボックスの選手に対して「ホームランを打て」というサインを出すくらいめちゃくちゃな話である。

 

だが、わたくしはこの依頼を受けた。

いや、受けた記憶はないのだけれど、断った記憶もないので、おそらく「はあ…わかりました」くらいの返事をしたのであろう。

芸人ではない普通のおっさんなのに、である。

今だったら迷うことなく断っている話だと思う。

 

 

そして迎えた運命の主任講習会当日。

講習が和やかに進むなか、「絶対に笑わせなければいけない主任講習会」の重圧に押しつぶされそうになっているわたくしがいた。講義の内容なんてひとつも入って来ないのが正直なところである。

今にして考えればあり得ない話なのだけれど、この時点でお題すら明らかになっておらず、ネタを考えることができない状態。ぶっつけ本番すぎる。

 

そうこうしているうちに講習会は半ばを迎え、10分間の休憩タイムへ。

講師役のA氏がわたくしの元までやって来たので、「大爆笑頼むぞ」などと念を押されるのかと身構えたが、その口から発せられたのは「ちょっと進行が押してるから、最後に当てられないかも。ごめんな」という予想外の言葉。

自分にとって都合のいい部分だけを見てしまうのが人間の性というもので、「当てられないかも」の「かも」の部分は完全に頭からすっ飛んでいた。

「かも」の部分が重くのしかかってくるのは、それから数十分後の話である。

 

休憩時間終了後からは、A氏が参加者を指名してお題について答えさせるパートがスタートしたが、こちらとしてはもう高みの見物状態である。

ようやく明らかになったお題の内容について考えもせず、ものすごい勢いで余裕をぶっこいていた。

前半の内容は緊張しすぎて何も覚えておらず、後半は弛緩しすぎて何も覚えていないという「何しに行ったんだ、お前は」と言われても仕方のない体たらくである。

 

しかし、運命は非情であった。レ・ミゼラブルであった。アームジョーであった。

主任講習会が終わる直前、A氏の口から発せられたのは他ならぬわたくしの名前であった。

悲しかった。驚いたというよりも、ただただ悲しかった。

何故なら「最後に当てられないかも。ごめんな」の言葉が嘘だったからである。

その言葉を信じて余裕をぶっこいていた自分が虚しかった。ただただ虚しかった。

 

説明するのを忘れていたが、この主任講習会には社員教育のノウハウを持つ外部の業者が関わっている。

講師は外部業者が考案したカリキュラムを理解し、それを自分なりのフィルターを通して参加者に講義することが求められる。つまり、A氏も外部業者から評価される立場だと言えるだろう。

 

外部業者のスタッフからマイクを受け取り、緩慢な動作でのろのろと立ち上がるわたくし。

不幸なことに、頭のなかに言うべき言葉は何ひとつ浮かんでいない。

その5秒前まで余裕をぶっこいて座っていただけなのだから当たり前の話である。

 

しかし、ひとつだけ幸運だったのは、「最後に爆笑を取って終わる」という企みを知っているのは、わたくしとA氏のふたりしか存在しないという事実である。

つまり、ここでわたくしが無難な内容を喋って終わらせたとしても、ガッカリするのはA氏だけなのだ。

せっかく期待してもらって申し訳ないが、ここは何か無難な内容の答えをでっち上げて終わりにさせてもらおう。

そう思った瞬間だった。

 

 

降りて来た

 

 

これが天啓というものなのだろうか。

まさに「降りて来た」としか表現できないアイデアが突如として頭のなかに湧き出したのである。

浮かんだアイデアを頭の中で反芻する。

うん。話の破綻はなさそうだし、100%事実に基づいたものであるということが非常に好ましく感じられた。

 

実際に話した内容については伏せるが(あんまり面白くないですね、と言われると悲しいので)、わたくしがオチのフレーズを発した瞬間、会場が爆発した。

そう、「爆発した」としか表現できない笑い声が炸裂したのである。

オチに続いて何かしらの言葉を発したはずだが、自分の声が聴こえなくなるほどの大爆笑であった。

あの瞬間、すべてがスローモーションで見えたのをよく覚えている。脳内麻薬がドバドバ出ていた影響なのではないだろうか。

 

講習会終了後、わたくしの席にすっ飛んできたA氏が興奮した表情で握手を求めたきたとき、「マジで映画のラストシーンかな?」と思ったし、あの感動は今も色褪せていない。

外部業者のスタッフも「この仕事を長いことやっていますが、あんなことが起こったのは初めて見ました」と唖然としていた。

多分だけど「最後に爆笑を取って終わらせてくれ」なんて部下に強要する人は普通いないので、今まで見たことがなくて当然だと思う。

 

芸人ではない普通のおっさんが勉強会で笑いを取っただけでこの快感である。

本職の芸人さんが舞台中毒になるのは十分すぎるほど納得できるし、薬物中毒者には「クスリをやるな。お笑いをやれ」と強く忠告したい。