とても寒いですね。冬ですか。
バンドティーシャーツ1枚では厳しい季節がやってまいりました。
冬なら冬と早めに言っていただきたい。
毎日が冬型の気圧配置。
あ、申し遅れました。僕です。
そんな申し遅れがちな僕ですが、パリピの巣窟こと新木場Studio CoastでDIR EN GREYを観てまいりましたので、この場を借りてご報告申し上げます。
ええ。あのDIR EN GREYです。
世間的にはV系バンドという括りに入るのでしょうか。
近年は海外での人気も凄まじいと聞いております。
僕が観たのは11月20日、『This Way To Self-Destruction』と題されたツアーの最終公演です。
初めて彼らのライヴを観たのですけれど、結論から言えば
完全にやられました
という感じですよ、ええ。
ファンの方がどのような認識で彼らの音楽を聴いているのかわかりませんが、僕の耳には超一流のメタルバンドとして響いております。
エクストリームメタル、プログレッシブメタル、ハードコア。
そこに加わる歌謡曲にも通じるような日本的なメロディ。
世界を相手に活動する上で、そのアイデンティティが大きな武器となっているのではないかナーと感じました。
映像も非常に効果的に使われていて、気が付けばその世界観に完全に引き込まれていたほど。
彼らのファンは“虜”と呼ばれているのですが、人生を捧げて追いかけてしまう人がいても不思議ではないな、と納得してしまうような圧巻のパフォーマンス。
このようなバンドが日本にいることを我々はもっと誇りに思うべきだし、世界で一番彼らを観る機会に恵まれている国であることに感謝するべきだと思います。
ありがたいことですよ。
「日本のバンドはねえ」とか「V系はねえ」などと敬遠しているあなた。
馬鹿を言うんじゃありませんよ、ワールドクラスのバンドですよ。
まあ、僕もちゃんと聴き始めたのは最近なので、あまり偉そうなことは言えないマイライフなのですが…。
今年、ヴォーカリストの京さんの別バンドSukekiyoのライヴを観る機会がありました。(Not 犬神家の一族)
SukekiyoはDIR EN GREYほどの激しさは無く、どちらかといえば耽美な世界観を持つバンドです。
あ、最初に断っておくと、僕はDIR EN GREYやV系については超にわかなので、「こいつ、なんにもわかってねーなー」という部分があったらご容赦ください。
自宅を特定してボコりに来たりしないでください。
当ブログをSNSに晒し上げて「超にわかー。ウケるー」などと嘲笑しないでください。
私のお墓の前で泣かないでください。
よろしくお願いします。
で、なんの話でしたっけ。そう、Sukekiyoです。
彼らのライヴは歓声を上げたり、音に合わせて身体を動かしてはいけないというルールがあります。(※ スタンディング公演では身体を動かしてもいいそうですが…)
許されているのは、身動きひとつせず、ひたすらにステージを注視することだけ。
一般的にロックのライヴは、演者と観客が一丸となって場の空気を熱くしていく、というイメージがありますが、Sukekiyoはその理論を完全に拒絶している印象です。
絵画などの芸術作品がそうであるように
芸術は、観察者がいなくても、芸術として成立している
目の前で演じられているにも関わらず、その観察者である自分は、そこに一切参加していない。
Sukekiyoのライヴを観ていて、そんな印象を持ったのは僕だけではないでしょう。
ステージと客席の空気が絶対に混じり合わないような、そんなライヴ。
とても興味深い体験でした。
この曲とかで身体を動かせないのは辛かったですけどね…。
DIR EN GREYのメンバーがやっているバンドとは思えない激キャッチー曲です。
それに対し、DIR EN GREYのライヴは完全に観客参加型。
京さんの「お前ら!ひとつになれんのか!」という煽りは、Sukekiyoとは完全にベクトルが逆である事を如実に表しているナーと思いました。
ひとりのミュージシャンがここまで正反対のベクトルを持つバンドを同時進行でやっているのは面白い。
かのリー・ドリアンだって超速グラインドコアNapalm Deathと超遅ドゥームメタルCathedralは同時にはやっていないというのに。
(リー・ドリアンがわからない方は是非ググってみてください。)
正直なところ、ライヴを観る前は非常に不安でした。
怖めのバンギャがたくさんいるんだろうナー、怖いナー、恐ろしいナー、ぶん殴られるかナー、と恐怖心に苛まれる日々を送っておりました。
ふと気が付けば検索エンジンに「バンギャ 怒られない方法」などというワードを打ち込んでいる始末。
しかし、蓋を開けてみれば、わりと普通のOLさんみたいな女の子もいるし、思ったよりも男性率も高かったりしたのでひと安心。
なぜそんな恐怖心を抱いていたのかと申しますと…
ライヴの予習のためにプレイリストを組んでiPodで聴いていたのですが、その中に“腐海”という楽曲のライヴバージョンが含まれておりました。
まあ、ライヴ音源なので当然、観客の声が録音されているのだけれど、演奏が終わったあたりに収録されている「ダイダイダイダーーーイ!!!!」という女性ファンの鬼気迫る絶叫に心揺さぶられてしまいまして、こんな現場に行ったら命が無いのではないかと危惧した次第です。
もちろん「ダイ」というのは「死ね」という意味ではなく、DIR EN GREYのギタリストであるDieさんのことだと推測されますが、どちらの意味であったとしても「怖いナー。恐ろしいナー」と素人のおっさんに思わせるような凄みがその叫びにはあったわけであります。
実際、こうして無事にブログを書いている自分がいることからもわかる通り、怖いバンギャに殺されたり、腕を折られたり、背中に剃刀でバンドロゴを刻まれたりすることも無く、楽しくライヴを観て帰って来ることが出来ました。
同じような理由で参加を躊躇している方がいらっしゃったら、そっと肩を抱いて「大丈夫だよ。Everything's gonna be alrightだよ」と曽我部恵一さんの声で囁いてあげたい心境であります。
僕がDIR EN GREYに興味を持ち始めたのは、2009年頃だったでしょうか。
その前年にリリースされた『UROBOROS』というアルバムが、ヴィジュアル系の枠を超え、ヘヴィロックの名盤として各種メディアで絶賛されているのを目にしたのがきっかけでした。
しかし、ものぐさな僕がすぐにレコード屋へ走るような事はなく、数年後に中古CDを手にしたのがDIR EN GREY初体験だったと記憶しております。
『UROBOROS』の2曲目に収録されている“VINUSHKA”という楽曲。
この楽曲の凄まじさに完全に打ちのめされましたよ、あたしゃ。
9分を超える大作にも関わらず無駄なパートが無いという点では、僕の敬愛するGuns N’ Rosesの名曲“Estranged”を彷彿とさせる部分があります。
凍てつくシベリアの大地を彷徨うかのような冷たく硬質な音は、聴いているだけで体感温度が下がりそうなほどにリアリティを持って耳を蹂躙してくるのです。
これは他のアルバムも聴かないといけませんね、奥さん。
いわゆるV系にあまり興味の無かった僕にそう誓わせるだけのクオリティを備えたアルバムでした。
しかし、ものぐさな僕がすぐにレコード屋へ走るような事はなく、そのまま数年が経過。
DIR EN GREYは気になる存在の筆頭でありながら、僕の心の中の「ちゃんと聴いてみたい枠」に押し込まれておりました。
この枠に入っているバンド、なぜかCD屋さんにいる時にはすっかり忘れちゃうんですよね…。
帰って来てから「あ!あのバンドのコーナー探すの忘れてた…」となってしまう…。
そんな状況に変化が起こったのは去年9月。
彼らは10枚目のスタジオアルバム『The Insulated World』をリリース。
アルバムの一番最後に収録されている“Ranunculus”という楽曲を聴いて、“VINUSHKA”以来の衝撃を受けました。
個人的にはバラードとは呼びたくないけれど、そう形容する人がいてもおかしくないような綺麗な曲です。歌詞も素晴らしい。
またしてもGuns N’ Rosesを引き合いに出すのも芸がありませんが、彼らの2008年作『Chinese Democracy』収録の“Prostitute”のように、アルバムの最後に入っている事に意味がある、という性格の楽曲だと思いました。
“VINUSHKA”と“Ranunculus”によって僕の心の壁は完全に崩落。
アルバムを買い集める事になりました。
Dir En Grey - Vinushka (Uroboros Remastered & Expanded)
DIR EN GREY - 「Ranunculus」(Promotion Edit Ver.) (CLIP)
とりあえず一通り聴いてみて思ったのは、
音楽性の進化が凄い
これに尽きます。
失礼を承知で言えば、初期作品を聴いた限りでは、このバンドが将来的に“VINUSHKA”を書くようになるとは微塵も思えません。
むしろ「絶対に書かない」と断言した方が安全ではないかと思えるほど。
メンバーが変わっていない事を考えると、途中で何か突然変異でも起こったのかな?と思ってしまうほどの進化。
よくミュージシャンが「同じアルバムは作らない。それが聴きたいんだったら、そのアルバムを聴けばいいじゃないか」という意味の事を言いますが、DIR EN GREYはその精神を完全に体現しているバンドでしょう。
自らの音楽性を刷新し、未知の領域に足を踏み入れて行く勇気に感動すら覚えます。
いつの日か、彼らがそのキャリアに終止符を打つ時が来たら、自分たちがどれだけの人気を獲得したかではなく、自分たちが音楽的にどこまで到達する事が出来たか、その点を誇りに思うバンドなのではないでしょうか。
そして、これほどまでに音楽性が変わり続けるバンドを理解し、愛し続けるファンも凄い。
自分の好きなバンドの新作が想像していた物とは異なっていた場合、DIR EN GREYのファンの姿勢で向かい合っていきたいナーと誓いました。今、ここに誓いました。
今回のツアー『This Way To Self-Destruction』開幕に先駆け、シングル『The World Of Mercy』がリリース。
このシングルは次回作のリード曲ではなく、アルバム『The Insulated World』を完結させるために書き下ろされた楽曲とのこと。
同アルバムにはわりと短めの楽曲が多数収録されていましたが、『The World Of Mercy』は10分22秒というプログレばりの大曲。
アルバムを終わらせるための曲を追加で出すというのもあまり聞いた事がありませんし、10分超えの楽曲をシングルで切るというのも異例ですが、常識に囚われないあたりが彼ららしいとも言えます。
静かな立ち上がりから徐々に盛り上がっていき、最後はすべてを焼き尽くすような絶叫の後、聖歌隊のような荘厳なコーラスで世界の幕が閉じるような構成になっています。
実際に聴いてみると10分という長さを感じさせないのはさすが。
ライヴで聴いた時も、その世界観に圧倒され、気が付いたらエンディングを迎えていました。
今回のツアーで僕が一番楽しみにしていた“Ranunculus”は、本編最後に満を持して演奏されたのですが、驚いたのは京さんの歌い方。
スタジオ音源とはまったく異なり、感情をむき出しにした荒々しい歌い方に鳥肌が立ちっぱなしでした。
聴き慣れた音源と違う違和感よりも、本当はこういう歌い方をされるべき曲だったのかもしれない、と思わされてしまう説得力。
「自分を偽らずに生きるべきだ」という内容の楽曲だと理解していますが、スタジオ音源を聴いた時にイメージした物とはまるで違った風景が脳裏に広がりました。
スタジオ音源が「自分らしく生きていこうよ」と優しく背中を押してくれる雰囲気だとしたら、ライヴバージョンはいきなり横っ面を張り飛ばされて、「こんなところでぼんやりしてたら死んじまうだろ!」と行動を強いられるような、焦燥感を煽られるようなテンション。
今まで見えていたのどかな風景が一変し、実は銃弾飛び交う戦場の真っただ中にいた、くらいのインパクトでした。
歌い方ひとつで見える風景がここまで違うものか…。
『The Insulated World』と『The World Of Mercy』という作品タイトルからもわかるように、「世界」という単語がキーワードなのでしょうか。
『The World Of Mercy』をそのまま解釈して、「京さんはこの現実世界に慈悲を見出しているのネー」などと受け止める人はいないだろうし、実際、今の世界は「慈悲」という言葉からは遠い状況のように見えます。
自分という存在が、それを取り巻く世界をどのように認識するのか。
それがテーマなのではないか。
僕はライヴを観ながらそんなことを考えておりました。
“同じ対象でも見る角度によってまるで違った物に見える”という意味の「コインの裏表」という比喩があります。
この世界の良い面だけを見て、「慈悲の世界だ」と言う事も出来るだろうし、逆に、人と人とが分かり合えない光景を見て「隔絶された世界だ」と言う事だって出来るでしょう。
“Followers”という楽曲の演奏中には、ステージ後方のスクリーンに「No matter how cruel the world is」(だったと記憶しているのだけれど。違ってもぶん殴りに来ないでください)という文字が映し出されていました。
「この世界がどれほど残酷だったとしても」という意味でしょうか。
そのフレーズを目にして思ったのは、
僕らがどんな風に世界を解釈したところで
世界の在り方っていうのは変わらないんだ
ということでした。
個人が世界を変えることは出来ないし、見る角度を変えたところで対象の本質が変化するわけではない。
コインを表から見ようが裏から見ようが、コインはコイン。
その事実を変えることは出来ません。(少なくとも、見ているだけでは)
ただ、自分自身を変えることは出来るわけで、
この残酷な世界と対峙する勇気、熾烈な世界を生き抜いていく覚悟を持つんだ
というメッセージを(勝手に)受け取ったような気がして背筋ピーンとなり、もしかしたら後ろで観ていた人に「うわ。こいつ急に背が伸びた?」と不審に思われたかもしれません。
そこで唐突に思い出したのが、アメリカのラップメタルバンドLimp Bizkitの“Take A Look Around”という楽曲です。
僕自身がLimp Bizkitの熱心なファンだった事は一度も無いのだけれど、この曲の歌詞にすごく好きな一節があるのでご紹介しましょう。
Everybody want to run
Everybody want to hide from the gun
You can take a ride through this life if you want
But you can’t take that edge off that knife
英語の出来なさぶりにかけては右に出る者がいないと評判の僕が訳してみますよ。
僕の解釈はこんな感じです。
「ぜんっぜんちげーよ馬鹿」と思っても嘲笑ったり殴りに来たりしないでください。
わりと傷つきやすいマイセルフなので。
誰もがみんな逃げたがってる
誰もがみんな銃口から身を隠したがってる
お望みならこの人生を楽に乗り切る事だって出来るけど
ナイフの刃を鈍らせる事なんて出来ないんだぜ
どうですか。
めちゃくちゃかっこいいでしょう。
お前らが覚悟を決めずに逃げ回っていたとしても、世界の残酷さ(ナイフの切れ味)が和らぐわけじゃないんだぜ、というわけです。
人間どうしても楽な方へ行きたくなりがちですが、“The World Of Mercy”の最後で「無様でも良い 血を流せ お前は生きてる」と歌われているように、過酷な現実に呑み込まれないように覚悟を決めて生きていかないといけませんね、奥さん。
えー。最後にライヴの感想をひとことでまとめると
「ダイダイダイダーーイ!!!!!」は聴けませんでした
これに尽きます。悔しいです。
来年2020年、DIR EN GREYは『TOUR20 疎外』と題された国内ツアーに出るようです。
興味のある方は是非。
次は“VINUSHKA”聴けるといいよネー。
あ。「ダイダイダイダーーイ!!!!!」も聴きたいです。
よろしくお願いします。